著者の野崎さんは、数学を専攻したのち電電公社でコンピュータの研究に従事、その後大学に戻って数学教育論などを研究されました。
論理学の解説書も著されており、「詭弁論理学」という本は私もかつて読んだことがあります。(書評はまだ)
この本は、数学などを直接扱ったものではなく、心理学的な分野の話ですが、教育というものの現在の問題点を捉えており、参考となるものでした。
「間違い」というものを、ここでは「いくつかの選択肢があり自主的に選べる状況でありながら、最適ではないものを選ぶ」こととしています。
このような「間違い」というものは、大きなものになれば人が死に、国が滅ぶということにもなりかねません。
しかし、「学校」という場はそのような「間違い」をして、それを繰り返さないように成長するということができるところです。
「間違えさせる」体験をさせて、それを取り戻す方法を身に着けさせることが、教育の本質かもしれません。
「間違い」をしてこそ、それを必死に考えるということが能力向上につながるのです。
しかし、現在の教育はどうやらこういった目的を見失っているようです。
かつては、大学入試などで「難問・奇問」といった問題が時々見られました。
これはプラスに捉えられることはなく、それを出した大学などは批判を集めてしまいました。
しかし、こういった難問は「考える力」がなければ解けるものではなく、単なる暗記ではどうしようもないものでした。
それを批判して「難問・奇問」を無くす意味で作られたセンター試験などは、教科書を全部暗記すれば高得点が取れるものとなってしまい、現在の受験対応もそれに沿って行われています。
予備校などでの指導も「これだけ覚えれば合格」ということだけを追求し、「考える力」などは無用のものにしています。
こういった方向では、模擬試験などで点数が低かったとしても、それは「まだ暗記が足りない」だけの問題となり、「間違った考え方をした」ことにはなりません。
「間違い」を犯せば、それを反省して考え、より成長することが可能ですが、「まだ暗記が足りない」なら「もっと丸暗記しろ」というだけになってしまいます。
実は、今では数学でもそのような指導がまかり通っています。受験数学も丸暗記の科目と言えます。
このような受験を通り抜けてきた現代の大学生たちは、考えるという訓練ができておらず、大学での研究などにはほとんど力を発揮できないようです。
研究への財政投入の少ないことが問題とされていますが、どうやらそれ以上に研究者の資質低下が問題のようです。
間違えたことを活かして成長するには、徹底的に考えるということが必要になります。
著者の我田引水でしょうが、数学者にはその資質があり、色々な方面で活躍が期待できるとか。
ただし、そのためには間違えて失敗した時にきちんと反省するということが必要です。
しかし、世の中には反省ということをまったくしようとしない人たちも多く、それが本書題名にもなっている「同じ間違いをくり返す」人です。
そのような人は学校だけでなく社会にもたくさん居ます。
上司にそういった人を持つということも多いようです。
うまく対処するのも必要なことのようです。