作家の北方謙三さんは、ある時期から中国歴史の作品を手がけるようになり、最初に「三国志」を書いたあとに、「水滸伝」を書きました。
とはいえ、水滸伝自体はすでに広く読まれており、自分独自の水滸伝を書き上げるに当たっては様々な工夫などを考え、通常のものとは一線を画するものとしたということです。
そのような作品を作り上げる上での姿勢や考え方、工夫の数々を一冊の本としたのが本書です。
小説家を目指す人には参考になる?かどうかは知りません。
著者が最初に「水滸伝」を読んだのは中学生の時だったそうです。
その後も何度も読み返してきたのですが、小説家となってからそれを読むと色々な点に不満を覚えるようになりました。
それは、まず時制が統一されていないこと。
もともと、水滸伝は多くの伝承や伝説をまとめ上げたようなものですので、時間の進み方があちこちで違いがあり、矛盾が多く存在します。
また、原典の性格として、「梁山泊に集まるまでの物語」という点があったために、すべてのメンバーが揃うまでは108人全員が一人も死なないという不自然さがありました。
そして、その後、敵対していた宋王朝から罪を許されて官軍になる「招安」という待遇を受けるのですが、官軍となってからはメンバーが続々と戦死してしまいます。
これも不自然でした。
このような「水滸伝の掟」はあっさりと捨てて、「北方水滸伝」として新たなものとして作り直したということです。
そして、登場人物のキャラクターも多くのメンバーで大きく変化させ、独自の性格にしています。
梁山泊のリーダー、宋江も原典ではそれほど強くもない、切れ者でもない。
これは、中国のリーダー像というものから来るもので、リーダーは茫洋としてつかみどころがない方が大きく見えるということがあります。
しかし、それではつまらないので、かなり性格を変え、人の心を惹きつけるような者として描いたそうです。
梁山泊には数千人の軍勢が居たことになりますが、その資金源がなにかということは原典にははっきりとは示されていません。
これではリアリティー欠如になりますので、著者はそれを「闇塩の販売」にしました。
それで、メンバーたちも闇塩商人としての性格も付けられ、存在感を増すことになります。
歴史小説では戦闘場面も大きな比重を占めますが、実は著者も読者も戦場の実際を知る人はいません。
そこにリアリティーをもたせるというのも難しい話ですが、著者は「ありえないことは書かない」ということを基本にしています。
例えば、三国志で諸葛孔明は戦場でも馬車は輿車のようなものに乗っているイメージがありますが、それで戦争の指揮ができるはずはないので、三国志を書いている時には孔明も馬に乗せたそうです。
なお、とは言っても「絶対にありえたこと」だけで物語を書いていくと、話が窮屈になってしまいます。
そこで「ありえること」を基本に、「もしかしたら、ありえたかもしれない」程度までは許して書くと良いものになるようです。
北方さんの「水滸伝」、有名な作品ですが、その執筆にあたってはこのような準備と工夫を凝らして当たったのだということは興味深いことでした。