イスラエルの地からローマ帝国によって追われたユダヤ人は、各地に散っていきました。
ローマ帝国の内部に向かい、北アフリカからスペインにかけて広がった人々はセファルディームと呼ばれ、トルコからギリシアイタリアを経由してドイツに向かった人々はアシュケナジームと呼ばれました。
ポーランドなどの東ヨーロッパにはさほど多くのユダヤ人は行かなかったようです。
しかし、中世から近世になると西ヨーロッパの多くの国でユダヤ人の迫害が頻発します。
そのため、それらの国を逃れてポーランドなどに避難するユダヤ人が増加しました。
ポーランドは西ヨーロッパの国々と比べると社会構造の変化が遅れており、領主と農奴同然の農民がほとんどという状態でした。
そこに、中間的な存在となりうるユダヤ人は便利な存在として領主にも歓迎されたようです。
16世紀という近代に近づく時代にユダヤ人たちはポーランドなどの地で一定の成功を収めました。
ごく少数の上層部に食い込めた人々の他に、小商人や金貸し、仲買人、手工業者といった社会の中間層として確固たる地位を築くことができました。
ユダヤ人の常として、そのような境遇であってもユダヤ教の教えを守り、男性はユダヤ経典の勉強に励むという生活を続けたために、その地域の社会とは同化すること無くユダヤ社会を維持し続けることになるのですが、それが地域社会の変化とともに大きな影響をユダヤ人たちが受ける要因となります。
ポーランドをめぐり、ロシアやドイツによる侵略や分割といった動きは、社会構造の大きな変化に繋がり、現地住民たちの変化も引き起こします。
その状況では、ポーランド人自らがそれまでユダヤ人に任せていた役割を奪い取ろうとします。
そこにはユダヤ人に対する反感も強まり、ユダヤ人迫害や排斥といった動きも出てきます。
そうして、ごく一部の上層ユダヤ人以外はほとんど職業を失い、収入も激減するということになります。
そのため、アメリカなど新天地に逃れる人々や、ロシアで革命に加わると言った人々の動きも起こりました。
その後はイスラエル建国後にそこに向かう東方ユダヤ人も多く出てきます。
ユダヤ人の歴史を見ていくとき、東方のユダヤ人というものは忘れることができないもののようです。
- 作者: ハイコハウマン,Heiko Haumann,平田達治,荒島浩雅
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