金属というと、鉄やアルミを始め多くの元素のことを指します。
その中でも比重の重いものを「重金属」と呼びます。
定義としては鉄より比重が重い金属元素ということですが、アルミやナトリウムなどの軽金属以外のものを指すということです。
これら重金属は、鉄やアルミニウムなど非常に多い元素を除けば地球には微量しか存在しないものの多いので、「レアメタル」と呼ばれるものもあります。
しかし、現代の科学技術ではそのようなレアメタルの中のいくつかの特徴を活かした技術が発展して、今では欠くことのできない金属となったものも多くあります。
一方で、重金属には毒性の強いものもあり、それが工業原料として使われることで多くの人々に被害を及ぼすことになった事件も数多く発生しました。
それは、現在でも解決されているとは限らず、まだ被害を受け続けている人も多数存在します。
物質の毒性という面で言うと、農薬や食品添加物のことばかり触れる風潮がありますが、実は人間に被害を与え続けている物質のほとんどは重金属です。
特に、鉛や水銀、ヒ素といったものは人類史上多くの人を犠牲にしたという歴史だけでなく、現代でも被害を与え続けています。
水銀では日本においての水俣病発生が大きな事件でしたが、いまだに新たな事件が発生しています。
カドミウムの中毒もイタイイタイ病の発生が日本で起こりました。
重金属の多くは地球上での存在量がわずかであり、微量元素とも言われるのですが、それが色々なところで使われることになり、無理やり集めるということも起きました。
その場面ではこれまでには考えられないような濃度となり有害影響を起こすことになります。
重金属の中には生物の体内で重要な酵素反応の触媒などとして不可欠のものもあります。
ビタミンB12にコバルトが含まれていたり、DNAポリメラーゼやデヒドロゲナーゼといった重要な酵素に亜鉛が含まれていたりと、生体反応にとって重要なものが多く、そのような金属元素は少なくなりすぎると欠乏症という病気になることもあります。
これは、進化の過程でごく僅かに存在する元素を上手く取り入れてより効率的な反応を手に入れたということのようです。
しかし、そういった元素も増えてくるとすぐに毒性を示すようになります。
このように、最適濃度の範囲が極めて狭いのも重金属の特徴です。
本書著者の渡邉さんは、重金属関連の分野の中でも環境毒性学がご専門ということです。
そのため、本書の中でも重金属による公害事件の記述に非常に詳しいものがあります。
水俣病、イタイイタイ病を始めこれまで起きた多くの重金属由来の公害事件の悲惨さを描いています。
多くの事件では、圧倒的に有力な鉱山企業や工場が毒性物質を撒き散らし、周辺住民と言う弱者の健康や命まで奪ってしまうということになり、国や行政もほとんどは企業側に立つという中でほんの僅かな人々により被害者を守る闘いが続けてこられたことが分かります。
しかし、こういった構造は昔の話ではなく今でも同様であるのが怖いところです。
水銀が海産物に含まれていると言う問題や、日本の多くの地域でコメなどにカドミウムが含まれる問題では、現在の行政当局の対応にも大きな問題点があります。
水銀が高濃度で含まれているのは、大型魚類ではどれでも同様なのですが、なぜかマグロ類に関してはほとんど触れずにキンメダイだけを発表したという事例もありました。
カドミウムの規制も、世界各国は0.1ppmを規制値とすべきとしているにも関わらず、日本政府は0.4ppmを主張し譲りませんでした。
食べる側の健康ではなく、生産者側の影響を考えているのは明らかです。
また、このような毒性物質の汚染問題が起きた際に、「風評被害」ということが言われますが、この点についても著者は疑問を投げかけています。
風評被害とは、間違った情報などで実際は正常な食品などが買われないことを言うのですが、それを誤用(あるいは故意に?)して「明らかに有毒な」ものを買い控えすることに対しても「風評被害」対策と言い張り、情報公開を行わないと言う動きもあります。
生産者への影響を過大視する行政などがよく使っていますが、これは誤りであるとしています。
レアメタルについては、中国などに生産地が限られるものもあり、中国が輸出制限を政策的に用いる危険性も存在します。
レアメタルの重要性が増すほどにこのような危険性も増大していきます。
また、レアメタルの採掘においての周辺環境汚染も悪化しています。
これらも新たに問題となっていきます。
重金属の問題は、古代から現在、そして将来まで大きなものであり続けるようです。