翻訳物の長編で、上下巻があるものはたいてい上巻だけでもういいやとなるのですが、この本は上巻の出来がかなりのものと感じたので、続けて下巻も読んでみました。
しかし、ちょっとがっかり。
人類の歴史というものを、細かな史実などは取り上げずに大きな流れとして記述するという、それはそれで優れた構成と史観を見せてくれていると思いましたが、どうも「歴史」の部分ではそれが十分に発揮されたものの「現在と未来」については疑問点ばかりとなっています。
ホモ・サピエンス、新人類と言うこの頼りない動物種が世界を塗り替えるほどの繁栄を見せているのは、認知革命、農業革命、科学革命という大きな変革を成し遂げたからであると言う視点にはまったく間違いはありません。
その認知革命と農業革命を描いた上巻には驚かされました。
これが欧米ではベストセラーとなったというのにも納得してしまいました。
下巻は主に科学革命というものを説明しています。
およそ500年前から始まった科学革命は主にヨーロッパで開花します。
その前段階の科学の萌芽は中東のイスラム国や中国で起きましたが、それが急激に発達する科学革命と言える段階が起こったのはヨーロッパでしかありえなかったのは、それが帝国主義の発達と密接に関わっていたからです。
それにはさらに、資本主義の発達ともリンクします。
これらが揃っていたのがヨーロッパであり、中東や中国には欠けていました。
科学の優れた点は「分かっていないこと」をはっきりとさせることです。
近代以前の文明でも世界地図を作りましたが、そこには世界の果てまで想像で埋められていました。
しかし、近代のヨーロッパの地図は分からないところは白紙のままでした。
そして、分かっていないところを調べるために多くの冒険家が探検をしました。
かつての文明では分かったことにしていたので、調べる必要もありませんでした。
これが、科学と帝国主義が結びつく点であり、その姿勢が科学の発展とも共通でした。
ヨーロッパ各国はその次にはアジアアフリカの各地を植民地とし、支配を強めました。
そこでは、現地の言語、文化を調べ上げ、効率的に支配するということも行われました。
そのために、言語学も発達し現地語の調査も徹底し、支配の道具として使われました。
その帝国主義を支えていたのが資本主義と言う一面もあります。
オランダやイギリスが東インド会社を設立し、植民地支配を効果的に行ったのも、資本主義の原則に基づいています。
資本主義が人道主義であるとは言えません。逆に資本の効率化を進めるほど、人道は無視し利益の最適化に突き進むことになります。
1840年には「自由貿易」の大義名分のもとに、イギリスは中国にアヘン戦争を仕掛けました。
自由市場が労働者の権利を守る、すなわち労働者は条件の悪いところは見放すから徐々に労働条件が上がると言われていますが、事実はまったく逆です。
近代以前のヨーロッパでは奴隷制は皆無でしたが、ヨーロッパに資本主義が台頭するとそれに歩調を合わせるように大西洋奴隷貿易が盛んになりました。
アメリカ大陸でサトウキビなどのプランテーション農業が盛んになると、労働力をもっとも安価に調達できるのは奴隷制だったのです。
ここまでの歴史認識は非常に優れたものであり、読むごとに納得させられました。
しかし、その後がひどい。
近代の経済はエネルギーと資源の供給により支えられており、その将来に不安があるということは分かっているようですが、しかし「技術の進歩でそれが解消した」と言っています。
太陽エネルギーは人類が使い切れないほど降り注いでおり、それを直接捕らえる技術の進歩でエネルギー不足はなくなったそうです。
その他の資源も供給不足に陥ることはないと(その理由がよくわからん)太鼓判です。
ここでがっくり。
太陽光発電などまだまだ人類の使うエネルギーを賄うには程遠い話です。
色々な物質が化学の力で作り出せると言っていますが、これも石油化学に頼り切りであることは考えが至っていないようです。
「ホモ・デウス」でも感じましたが、この著者は歴史観には非常に優れた感覚を持っていますが、どうして科学技術に関してはこのような盲目的な楽観視に支配されるのでしょうか。
どうも、よほど科学技術を教えてくれる友人に悪い奴がいるのでは。
そんなわけで、これまでの人類の歴史だけを見るには良い本ですが、これで将来のことを考えようとすると、非常に危険なことになりそうです。
さらに、この本がヨーロッパでベストセラーであるという意味を考えると、多くの人が「将来の夢」を見させてくれる本に進んで騙されたいと願っているようにも感じます。
そんな楽観的な夢で本当の危機から目をそらせてしまって良いはずはありません。
というわけで、この本は危険図書認定とします。