爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「コロンブスの不平等交換」山本紀夫著

コロンブスの交換」という言葉があるそうです。

それほど古いものではないそうで、アメリカの歴史学者クロスビーが1972年に発表した本の中で使った言葉だそうですが、その後他の人も使うようになりました。

 

確かに、コロンブスの新大陸「発見」以降ヨーロッパとアフリカ、そしてアメリカを巻き込んでの、作物や家畜、疫病などの移動をみれば一見「交換」と見えるかもしれません。

しかし、著者の山本さんの見るところ、交換といっても非常に不平等なものであり、一方的なものだったということです。

 

コロンブスの「発見」「貢献」「交換」といった見方はすべてヨーロッパ中心のものでした。

それを、アメリカ先住民の民族学専門家の著者が、真実を詳述し本当のところはどうだったのかを知ってほしいという思いから書かれたのが本書です。

 

アメリカから持ち帰った作物で特に重要なのがトウモロコシ、ジャガイモ、逆にアメリカにもたらされたのがサトウキビでした。

トウモロコシは単位面積あたりの収量が非常に多いという利点を持っています。

しかし、成分はほぼデンプンのみであり、タンパク質の含量は他の穀類と比べても低く、麦やコメのようにそれだけを食べていても栄養が摂れません。

そのため、必ず豆類やイモ類と同時に作り併用していたそうです。

ヨーロッパに持ち帰られてもそれだけを食用とすることはなく、動物飼料としての使用が主となりました。

一方、ジャガイモはヨーロッパでは最初は人の食料とは考えられていなかったのですが、寒冷な気候の土地での生産性の高さに着目され、ドイツやイギリスなどで主要な食物として広まるようになりました。

ただし、それに頼りすぎたアイルランドでは、いきなりやってきたジャガイモの疫病のために多くの人が餓死し、また流民としてアメリカに多数が移住することとなりました。

 

サトウキビはニューギニア原産だそうですが、地中海にまで広まっていました。

しかし栽培や製糖が難しく、砂糖というものは非常に貴重なものでした。

それを新大陸に運びそこでの砂糖生産に結びつけようとしたのが誰かは分かりませんが、南米やカリブ海地方がそれに最適と分かり、どんどんとその生産が伸びていきました。

この栽培には多くの人手がかかり、さらに製糖工程も同様でした。

最初は現地人を使ったのでしょうが、すぐに足りなくなりそこで目をつけたのがアフリカからの奴隷でした。

アメリカではその後綿花生産に奴隷を使うようになりますが、初期はほとんど砂糖生産のためだったようです。

 

アメリカの先住民の文明では、家畜の使用ということがほとんど行われていませんでした。

そのため、ヨーロッパ人はアメリカ征服のごく初期から馬や牛といった家畜を船で運んできました。

インカ帝国征服の戦争でも騎馬隊が大きな力を発揮したそうです。

その後は牛などは野生かと思えるほどに広がっていき、アルゼンチンのパンパは牛の放牧地と化してしまいました。

 

家畜が居なかったということは、動物との共通病原菌からの疫病の発生もなかったということで、アメリカ先住民は天然痘やインフルエンザ、チフスといったヨーロッパ由来の疫病に対する免疫をほとんど持っていませんでした。

そのため、スペイン人の侵略の際に彼らによる虐殺などもあったものの、ほとんどの現地人は疫病により死亡してしまいました。

一つの民族がほぼ全滅といった事例も多く起こったようです。

 

ほとんどの伝染病はヨーロッパからアメリカにもたらされましたが、一つだけアメリカ由来で全世界を制覇した伝染病が、梅毒だそうです。

その伝染の速度は非常に早く、あっという間にヨーロッパ中を席巻し、その後世界各地に広がっていったようです。

これには、ちょうどヨーロッパがルネサンス期を迎え、人間回復と言う風潮があり、性交渉も自由になるという雰囲気があったためのようです。

どこの街にも公認の売春宿があり、売春婦の数はベネティアで1万人以上だったそうです。その時の人口は30万人であり、実に30人に1人は売春婦だったとか。

ただし、梅毒は蔓延したといっても致死的な病気ではなく、流行していても人口は増えていたようです。

 

アメリカ大陸での所業を見ると、現在の南北アメリカ各国はその悪行を受け継いだ国であると感じます。しかし、その大元はヨーロッパであり、それがいまだに世界を席巻しているのでしょう。