爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ゲノムが語る人類全史」アダム・ラザフォード著

DNA分析を用いる人類進化の解析は、分析技術の急速な進歩により日々新たな知見が得られるような状況となっています。

 

この本はイギリスの遺伝学者にしてサイエンスライターでもある著者が、2016年に出版したものですので、最新に近い内容が盛り込まれています。

 

なお、題名から推測されるような、人類史や進化といったものだけでなく、現代のDNAにまつわるあれこれの話題についても数多く触れられており、欧米の現状も知ることができます。

 

ただし、内容がヨーロッパについてのものに偏っているために、巻末には日本国立科学博物館の篠田謙一さんが日本人についての解説を書いて補っていますが、まあこれは篠田さんも書いている成書を読んだ方が確かでしょう。

 

 

前世紀末にヒトゲノム計画という、人間の遺伝子のDNA配列をすべて解析するという大プロジェクトが実施され、2001年に完全なゲノム解析が発表されました。

それには、10年という時間と数百人の科学者、30億ドルの費用がかけられたのですが、それから15年たった現在では、人一人のゲノム解析が一人の技術者によって僅かな時間と費用で可能となり、毎日のようにデータが積み重ねられるようになりました。

そのデータを基に、人類の進化や病気の遺伝子等々、様々な生命情報が次々と得られています。

ただし、あまりにも多くの情報が溢れており、その理解と言うものを置き去りにして技術が暴走しかけているとも言えるかもしれません。

 

ネアンデルタール人は主にヨーロッパに暮らしていて、新人ホモ・サピエンスがやってくるとそれに追われて絶滅したと考えられていました。

しかし、現在の人間のゲノムを調べてみると、どうやらわずかながらネアンデルタール人の遺伝子が残っているようです。

つまり、新人とネアンデルタール人は出会うごとに交雑を繰り返していたようです。

これは、アジアにおいてはデニソワ人と言う人々と同様の行動を取っており、そちらにはその痕跡が見られるようです。

これは、ネアンデルタール人やデニソワ人と、新人との種の違いと言うものが実際は無かったということかもしれません。

同種の、若干異なる亜種かそれより差の少ない変種程度の違いだったのかもしれません。

そうなると、新人のアフリカ単一起源説と言うのも完全に成立していないことになります。若干とは言え、各地で進化しつつあった人々も我々の先祖の一部ということになります。

 

こういった学説が成立するためには、ネアンデルタール人などの遺骨からもDNAが抽出され解析できるようになったという、技術の開発が大きく寄与しました。

ただし、遺骨の保存状態により分析の可能性が大きく左右されるようです。

それは、本来のDNAが分解すると言うこと以上に、それ以降に別の生物のDNAが混入するという問題も含み、分析ミスにつながります。

こういった大変な操作を経てようやく得られたデータがそれでもどんどんと公開されています。

 

自分の先祖にはどういった人が居たのかということは、誰もが興味を覚えることだと思いますが、これまでの一般的な家系図はほとんどもののは男系のみ(ヨーロッパでは比較的女性も含まれる)であり、誰か有名な一人を出発して樹木を逆さにしたような形のものでしょう。

しかし、実際の遺伝はどう進むかと言えば、男性と女性の遺伝子が等分に交わり子供として生まれるわけです。

先祖の人数を考えると、父母で二人、祖父母が四人という具合になっていて、もしも完全に血縁関係のある人間とは結婚しないと言うことが守られるならば、36世代前という、だいたい中世の真ん中の時代には1374億人の先祖が居たことになります。

そんなことはあり得ないのですが、それは必然的に血縁の人と結婚していた、つまり共通の先祖を持つ人とまた結婚していたことを示します。

 

極端な近親婚は現代では禁止されている国が多く、可能であってもせいぜい従兄弟婚からなのですが、文明によっては兄弟婚すら普通であったものもありました。

しかし、それは避けたとしても同一の氏族間で通婚するということが続いた場合は、遺伝的にはほとんど近親婚と同様のことになります。

ヨーロッパでもハプスブルグ家はこういった状況に陥ったために、遺伝病の発症が多くそのために乳幼児での死亡率が高く一族全体がやがて衰亡してしまいました。

こういったことは、当時の記録を見ても歴然としていたのですが、現代まで残った遺骨を分析するとそれがよく分かるようです。

 

DNA分析が容易となった現代では、個人から遺伝子の提供を受けて分析し、それが歴史上の有名人の誰かと結びついていると言うことを教えてくれるサービスがあるようです。

著者(イギリス人の父親とインド人の母親の間に生まれた)が自分のDNAを、イギリスのブリテンズDNA社に送ったところ、次のような分析報告を受け取ったそうです。

「貴殿はラインラントと北海沿岸低地帯の人々の子孫です。5世紀に多くのゲルマン民族の移動とともにブリテン島に到達しました。云々」

1000年前には自分の祖先は何百万人も居たということを心得ている著者にはこのような報告は何の意味も持ちません。

10世紀に生きていて、子孫を残した人間は誰でも今日生きているすべての人の祖先だと言えるようです。

 

DNAを調べていくと、多くの「変異」があちこちに見つかります。

その変異も子供から孫に伝わっていくので、地域ごとの人類のグループによって、変異の分布にも差ができてきます。

それが、現在の「人種」と言われているグループ分けの基にもなっているのですが、実は動物種として見た場合の「種」というほど、違いがあるわけではありません。

これまでの素朴な人種論では、見た目の違いなどを必要以上に大きく捉え、それぞれに大きな差があるように考えてきました。

しかし、地上のどの人種同士であっても結婚し子供を作ることは可能であり、種として分離はされていません。

様々な「人種論」がこれまで多数発せられてきましたが、「人種間の差」よりは「各人の個人差」の方がはるかに大きいというのが真実です。

 

遺伝病と言うような言葉もあるように、遺伝子を調べていくと病気になる遺伝子、病気にかかりやすい体質の遺伝子と言うものもあるということが分かってきています。

しかし、そう簡単にはいかないもののようで、一つの病気の発生が一つの遺伝子によって決まるというのはあまり無く、多くの遺伝子が重なって起きる病気という方が普通のようです。

そのため、どれか一つの遺伝子を操作したから病気が治ったということもこれまでには起きていないということです。

 

遺伝子の解析が容易になると、「犯罪遺伝子」なるものがあるかどうかも興味を引きました。

連続殺人犯や、猟奇的犯罪の犯人などが捕まると、その遺伝子を分析しどこかに特徴的な遺伝子があれば、それが「犯罪遺伝子」だとするような安易な発表もされています。

その結果、その遺伝子を持っているということで刑を軽くできたと言う例まで出現しました。

しかし、そのような犯罪遺伝子などには殆ど合理的な意味もなく、作用を解析するということも行われていません。

そもそも、一つの遺伝子が犯罪を起こすなどということもありえず、遺伝学の乱用に当たるでしょう。

 

1980年代に、インドの外科医たちは一部の患者が麻酔のあと普通より数時間長く意識が戻らないということに気が付きました。

すると、彼らにはブチリルコリンエステラーゼという酵素の合成ができないということが分かりました。

そして、その遺伝変異が起きているのは、ヴァイシャという人々に限られているということも分かりました。

インドはカースト制度が厳格に守られてきたので、異なるカースト間の結婚がこれまでは制限されていたために、遺伝変異もヴァイシャのみに分布していたということです。

これも、一つの遺伝の表れということです。

 

最後に、人類の進化はこれからも起きるのだろうかということです。

キリスト教では今の人間が完成形であるということが信じられていますが、実際は今の人類の遺伝子の中にもこの先変化を表すような変異がいくらでもあるはずです。

ヒトは三色の色を区別する三色色覚というものを持っていますが、どうも女性を中心に四色色覚を持つ人がいるようです。

彼女たちがその色覚を識別して何ができるのかは不明です。

これも、数多い遺伝子の変異の一つですが、このような変異による変化が人類全体に広がると何らかの進化が起きるのかもしれません。

 

進化の解析というものは驚くほどの速度で進歩しているようです。新しい情報をすぐに捉えるようにしなければ不正確な情報に惑わされそうです。

 

ゲノムが語る人類全史

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