爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

福島原発事故、東電首脳部の裁判始まる

福島原発事故を起こした当時の東京電力の首脳部に刑事責任が問えるかどうか、裁判が始まっています。

mainichi.jp

東日本大震災が起きる数年前に、これまでの想定よりはるかに高い津波が襲う可能性が指摘され、東電社内にも報告されていたものの、それに対し有効な対策をしなかったことで、原発事故につながりました。

 

この裁判で、当時その津波高さの試算を示された当時の経営陣は「数値に信頼性がない」とか「根拠がない」と言って対策を先送りにし、事実上何もしませんでした。

偶然の一致ですが、その時に指摘された津波の高さは、大震災時に実際に襲った津波とほぼ同一であり、対策をしていれば事故に至らなかったはずです。

 

ここで、そのような科学的研究の結果として出された津波高さの数値を旧経営陣が「根拠がない」「信頼性がない」と言っていることを問題としたいと思います。

 

科学的な研究では、研究者によって出される数値には大差があります。

その中で、彼らはそれまでの数値をはるかに超える津波高さを「根拠がない」と判断した。

彼ら経営陣に科学的根拠を判定する能力があるはずもありません。

助言する科学者が居ただろうことは容易に想像できますが、その意見が「信頼性があり」、別の科学者の意見は「信頼性がない」と判断したのは経営陣です。

 

このような、科学的に無知無能な経営陣がどうやって科学的事項を判断するか。

そこに、コスト考慮の概念が入るとまた大きく影響されます。

コストがかかる対策は、「信頼性がない」からと言って排除する。

そういった思考の経緯があったのは間違いないでしょう。

 

科学的な判断を、経営判断で歪めた。それは私の見るところでは十分に有罪だと思いますが。

これを「科学的な判断が苦手の裁判所」がどう判断するか。まあ期待はできませんが。

 

なお、「津波高さ」を考えられる限りの、可能性などほとんど0の場合も考慮すれば、惑星衝突の際に起きるものでしょう。まあ、その場合は地球自体が破壊されますので、津波高さなど問題にもなりませんが。

その場合、数千メートルどころか、大気圏まで海水が跳ね上げられる可能性もあると思います。

結局は起こりうる確率との兼ね合いと言えるのですが、地震による津波はかなり確率が高いものとしなければならなかったでしょう。