爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、”品位ある社会”

なにか、かつてやたらに流行った「品格」関連の話のようですが、これはアヴィシャイ・マルガリートという人の書いた「品位ある社会」という本を内田さんが読んでの感想ということです。

なお、マルガリートはイスラエルの哲学者のようです。

 

そして、この本は50年ほど前に出版され欧米では大きな反響を呼んだ、ジョン・ロールズの「正義論」に関連したものであるようです。

 

ロールズはそれまで倫理学を主に支配してきた「功利主義」に代えて「正義」を基にすべきとし、議論を展開しました。原爆投下についても批判したそうです。

 

マルガリートのこの本は、ロールズの正義論を端緒としながらも、その方向性を逆にしたというものだということです。

ロールズが正義論を展開してからすでに半世紀、世界は相変わらず正義とは正反対の原理で動いています。

正義が本当に有効なのか、それをマルガリートは「品位」というもので答えようとしました。

 

「品位ある社会」(the decent society)とは「その制度が人びとに屈辱を与えない社会である」(13頁)と著者は定義する。

とマルガリートの本より引用します。

さらに、

例えば、社会福祉社会福祉制度がうまく働かない理由の一つは、福祉を実施する側が受給資格を与えるために構造的に「屈辱的なテスト」を課す傾向があるからである。パターナリスティックな福祉社会は自尊心を失った依存的な人々を生み出すリスクをつねに抱えているが、「それは困窮者を永続的に二級市民にとどめ、事実上彼らに成人ではない人間という地位を与える社会である」(216頁)。

このあたりは、マルガリートの書いた内容があたかも日本を描いたかのように感じます。

イスラエルでも社会福祉を巡る状況は日本同様なのでしょうか。

 

この非常に分かりやすい例示により、イスラエル同様に日本も「まったく品位のない社会」であることは明らかでしょう。

 

最後に、内田さんはマルガリートの書きたかったと思われる大意を次のようにまとめます。

たぶんこういうふうに要約しても著者は怒らないと思う。「品位ある社会」というのは「品位ある社会とはどういうものか、どのようにすれば実現できるのか」について熟慮する人びとをある程度以上の比率で含む社会だということである。定義の中に定義すべき概念がすでに含まれていることを咎める人もいるかも知れないけれど、しかたがない。「品位」というのは「事物」でも「出来事」でもないからだ。「屈辱を与えない」という「何かが起きない」事況のことである。品位は「この社会には品位がある」というかたちで実定的に実感されるものではなく、「この社会には品位がない」という欠性的な仕方で実感されるものである。私は著者のこの「大人の知恵」に賛成の一票を投じる。

 

ここで、日本にとって大きな課題を示しました。

日本が「品位ある社会」になるためには、「どうすれば品位ある社会を実現できるか」を熟慮する人々を多数育成しなければならないということです。

「金儲けをするためにはどうすればよいか」ばかりを考える日本人にはちょっとハードルが高すぎるようです。