(著者名の祐の字は本当は旧字体です。)
フランス語、ドイツ語、イタリア語に通じさまざまな本の翻訳もされている著者が、世界的に英語が共通語化している状況で、日本語が残っていくかどうかということを論じています。
ただし、これまでの歴史的経緯も多く述べられているので、壮大なものとなっています。
日本は、明治維新までは中国の文化の影響を強く受け、その後はヨーロッパ文化に乗り換えました。
文化の流れは一方通行であり、かつての中国、今のアメリカ文化は日本に流れ込むだけ。日本文化の紹介はごく一部の例外を除けば今も昔もありません。
これを著者は「文化直流」と呼んでいます。「文化交流」などというものは存在しませんでした。
これは言語をめぐっても同様で、日本人はかつては漢文という名の中国語を操ることに熱中し、現代では英語を話すことに注力していますが、かつての中国人で日本語を話す人はほとんど無し、今のアメリカ人も日本語を勉強する人はごく少数です。
戦後、日本からアメリカへ「フルブライト留学生」という人たちが渡り、帰国後は高い地位を得て活躍しました。
著者は少し違っていてフランス政府の奨学金でパリへ、イタリア政府の奨学金でフィレンツェへ留学しましたが、フルブライト留学生の自尊心というものは想像できます。
かつて、明治期にアメリカへ留学した人々も居ましたが、彼らはアメリカを見るのに客観視できました。しかし、フルブライト留学生はそのような見方はできずに、アメリカ一辺倒の視点に浸かりきってしまいました。
著者は英語も理解しますがそれ以上にイタリア語、フランス語も理解できます。
アメリカ留学者が、英語だけを操って得意になるのは、日本語との2点を結ぶのみで不安定です。
それ以外にもう一つの言葉を使えれば、3点で支えることになり非常に安定したものになります。
しかし、英語が支配言語としての力を強めるばかりで、これまでヨーロッパなどでフランス語が占めていた位置をどんどんと侵食しており、どこの国でも自国言語と英語の二極化が進んでしまいました。
英語を使いこなすことは最低必要なことですが、それにプラスして自国以外の第3の言語を使うトライリンガルな人材は、より公平な判断をできるものとして今後の世界に必要なものとなるでしょう。
ただし、現在の日本の英語教育は必要としない人々に無駄な時間を使わせているだけで、方向性が間違っています。
すべての人に外国人旅行者の道案内をできるようにしたところで、ほとんど意味はありません。
IT機器の進歩でその程度の会話ならスマホを通せばできるようになりつつあります。
それよりも、ごく限られた人数で良いのでエリートに自由自在に英語を操ることができるような英才教育をすべきです。
そういった人材には日本文化の教養も十分に身につけさせること、それが外国と渡り合える条件でしょう。
日本語は結局は辺境のマイノリティー言語として残るということでしょうか。
日本語は生きのびるか---米中日の文化史的三角関係 (河出ブックス)
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