音楽というものが、脳に対してどのように働きかけているのか、考えてみれば色々と面白い話がありそうです。
というわけで、養老さんが作曲家の久石譲さんと対談し、音楽と脳の関係についてあれこれと話題にしましたという本です。
目で見て耳で聞く楽しみ、映像と音楽は似たようなものと見えるかもしれませんが、実は映像と音楽を受容する脳の機能にはかなりの差がありそうです。
映画は映像に音楽を付けて供されます。
かつてのフィルムでは、1秒に24コマの映像を流し、音楽はそのサイドに付けられました。
その際、久石さんの経験では音楽は5コマくらい遅くしてみるとちょうど映像と合うそうです。
光速は音速より速いはずなのに、音の方が遅くても同時に感じられるのはなぜか、疑問がありました。
これは、脳内の音と光を伝達する神経細胞が、働きが違うからだそうです。
音の処理と光の処理では、やっていることがそうとう違うのですが、それを脳の働きで情報を統合しようとしています。
目と耳との機能は本来まったく無関係なのですが、それを関連させて処理せざるを得ないということになっているということです。
視覚、聴覚などの五感と言うものは、皆「二重構造」になっているそうです。
古い器官と、新しい器官なのですが、その中で耳の感覚器は非常に古い器官が残っているそうです。
それは、三半規管の体の平均を司る場所とつながっているために、感情の古い場所に直接働く、それが音楽が情動に強く影響するという現象の理由なのかもしれません。
五感すべてについて、現代人は感覚が退化し鈍感になってきました。
しかし、その中で他人の臭いに対する嗅覚だけは鋭敏になっているように見えます。
そのため?消臭グッズ、脱臭剤といったものが大流行しています。
これはどうやら、嗅覚が鋭敏になっているわけではなく、臭いがあるのが普通という常識が通用しなくなっているだけということです。
志向性、インテンショナリティというものは、人の意識が集中している方向には感覚も鋭敏になるということを示します。
うるさい部屋の中でも、聞きたいと思う相手からの言葉は聞き取ることができるということがそれを示します。
ただし、これは聴覚について言えることで、視覚にはそれはありません。
視覚は求心性のみを備えており、聴覚とは異なり聞きたくないものは聞かないということはできず、何でも目に入る物は見てしまうと言う性質があります。
抑制機能があれば、見たくないものは目に見えていても感じないということもあったのかもしれません。
日本人にはハーモニー感覚がないそうです。
ヨーロッパであれば、酒場で酔っ払っているおじさんであっても、人が歌いだせばそれの3度下でハモったりということは普通にできるのですが、日本人はハーモニー感覚が無く、ヘテロフォニーしか無いということです。
この部分は、「日本人は」と言われても「私は違います」と言わざるを得ません。
合唱をやっているせいもあるのか、カラオケでも他人の歌にハーモニーをつけるというのは得意で、(相手が嫌がっても)すぐにやっています。
脳の働きということは徐々に解明されていますが、音楽という特異な分野でそれを解析するということは今後も続いていくでしょう。面白いような怖いような話です。
耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105)
- 作者: 養老孟司,久石譲
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/09/10
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