著者はすでに亡くなっていますが、共産党の中央委員会委員で参議院議員としても長く活躍されていた人です。
この本は1988年の出版、ちょうど昭和天皇が亡くなり平成に入った頃のことです。
昭和天皇の病状悪化から危篤、逝去までの世相というものは、もはや覚えている人も年を取ってしまったでしょうが、多くのイベントが自粛の名の下で取りやめになり、静かな町になりました。
それとともに、昭和天皇の平和主義者である面のみを強調する論調ばかりとなり、歴史的な事実としてそればかりでもないということは無視されました。
本書はそこの記述から始まりますが、主題は天皇の戦争責任を語ることではありません。
昭和から平成に変わる頃、別に時を合わせたわけではないのでしょうが、太平洋戦争の侵略性を否定したり、戦争犯罪を無かったことにしようとしたりといった、歴史上の問題についての攻撃が、主に自民党の有力政治家から発せられるようになります。
そのような政治的活動が、昭和天皇への過度とも見える対応と相俟って、軍国主義、全体主義への回帰となるのではないかとの恐れから、歴史的事実を再確認しようとするのが、著者の主張です。
記述は歴史修正側からの主張を一つ一つ論破していくものとなっており、日韓併合は韓国側も同調したとか、閔妃殺害事件も性格をあやふやにごまかすとか、明らかに捏造した論議や、侵略を否定した中曽根発言など、少し前のことで忘れかけていた論議を思い出しました。
ちょうど30年経った本ですが、この問題を取り巻く状況はさらに悪化しています。
ここに書かれている「第二次世界大戦の教訓」ばかりでなく、「歴史論議の教訓」と言う教訓も意識しなければならないこととなってきたようです。
特に、この時代にはまだ生まれていなかった若い世代が良いように取り込まれている事態には危機感が募ります。