音楽というものは音を聞いて楽しめれば良いのですが、それでも同じような曲を記録し再現するためには楽譜というものが必要になります。
現在、普通に「楽譜」として通用しているものは西洋音楽の記録に適したものとして発展してきました。
それで音楽のすべてが記録され、再現可能であるとは言えませんが、かなりの点まではそれが可能になっています。
この本はそういった楽譜というものについて、あれこれの挿話を知ることができるようになっており、この本を読んだからと言って楽譜が読めるようになるわけではありませんが、楽譜に対しての興味は湧くようになっています。
現代の楽譜は「五線譜」とも呼ばれるようなもので、この形は13世紀に出現しました。そして、音の長さまで記録できる「計量記譜法」も同じ頃に現れ、基本的な仕組みが整いました。
しかし、それ以前にも音楽を記録しようという努力はされており、最も古いものでは3000年前のエジプトにもどうやら音楽を記録したようなものがあったようです。
その後、キリスト教の発展と共に聖歌も数多く現れましたが、最初は伝言ゲームのような形で歌い継がれていました。
しかし、それはどんどんと形が変わっていき、バラバラになっていきました。
8世紀頃には聖歌の統一ということが目指され、ネウマ譜という記譜方法による聖歌の記録が発達してきます。
最初は旋律の動きがわかるような程度だったものが徐々に複雑な記譜ができるようになりました。
上記のように、13世紀には五線譜に計量記譜という仕組みが整い、さらに15世紀には全音符から16分音符まで長短の音符が出揃う「白符計量記譜法」というものに発展し、現代とほぼ同じ記譜法に発展しました。
これは、実は時間の計測における大発明「機械式の時計の発明」とほぼ同じ時期だったそうです。客観的な時間の観念と精密な音符の記譜というものは関連が強かったようです。
ただし、現代でも楽譜というものは完全に音楽のすべてを記録しているわけではありません。
細かい演奏習慣というものは楽譜には現れていないものも多くあります。
また、そもそも音の高さも楽譜には書かれていません。
有名なことですが、五線譜の第二間の音「一点イ」は現在は音高が440ヘルツとされています。しかし、時代によってこの音高(ピッチ)が変わってきたということも事実です。440ヘルツということが決まったのも20世紀になってからのことでした。
本書第2章は「楽譜の基礎知識」があれこれと書かれています。
知っておいた方が良いことがいくつも載っていますが、ここでは触れません。
第4章には大作曲家と楽譜のエピソードが書かれています。
かつては楽譜の複製はすべて手書きでした。
作曲家が全部自分でコピーするわけには行かなかったのはもちろんですが、それを専門に行うコピストという人々の中にはその曲を勝手に横流しするようなのも居たそうで、作曲家はそれを防ぐのが大変だったそうです。
コピストを自宅に集めてそこだけで監視の下作業させたということもあったとか。
自筆譜というものが残っている人とほとんどない人といるのですが、バッハはそれがとても整然としていて読みやすいという特徴があるそうです。
一方、ベートーヴェンの自筆譜は非常に乱雑で、出版に先立って専門の写譜師という人々が写したのですが、彼らでも読み取れずに間違ったものがあり、ベートーヴェンが怒りまくったということもあったようです。
モーツァルトは音楽的天才であったので、彼の自筆譜には書き直した跡がないという伝説もあるのですが、実は今残っているのは出来上がった後に浄書をした浄書譜であり、書き直しが無いのは当然だとか。ごく一部に浄書前の自筆譜があるのですが、それには相当な書き直しが見られるそうです。
また、シューベルトは非常に速く楽譜を書くことができたそうですが、中にはかなり乱雑に書かれたものもあり、アクセント記号とデクレッシェンド記号の見分けがつかずにその中間ぐらいの長さの記号が見られるとか。
それを判別するのも大変な作業だったようです。
なかなか興味深い話が満載の本でした。
- 作者: 沼口隆,沼野雄司,西村理,松村洋一郎,安田和信
- 出版社/メーカー: ヤマハミュージックメディア
- 発売日: 2010/06/25
- メディア: 単行本
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