爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて」喜納大作、上里隆史著

現在は沖縄県となっていますが、かつては琉球王国という独立国でした。

中国の王朝に冊封され、東南アジアから朝鮮まで広く交易を行い栄えていたのですが、17世紀には薩摩の島津氏の支配を受け、明治維新後の日本に併合されて王朝は滅びました。

 

部分的には残っていますが、琉球王朝の文化、歴史、生活など、あまり知る人はいないかもしれません。

この本の著者は沖縄の若い歴史研究者ですが、琉球王朝について広く知ってもらいたいと分かりやすい本にしたということです。

 

最初に大きな歴史の流れも簡単に触れてありますが、この本の主要部分は15世紀から始まる第二尚氏王朝についてです。

 

琉球王国の王宮は現在も首里城という名で知られています。

もちろん、太平洋戦争時にすべて破壊されましたのでその後再建されたものですが、かつてのものが忠実に復元されているようです。

首里城の中には王や王妃も住んでいましたが、役人の働く行政機関も含まれていました。

役人になることができたのは、士族という階級でしたが、これは日本のような「武士階級」とは少し異なります。

武力を持つという意味がなく、あくまでも役人となるという意味が強かったようです。

ただし、「士族の子は士族」という制度であったために、初めはごくわずかだったのがだんだんとその人口が増え、役人にはなりたくてもなれないという状況になったようです。

そのため、「無給の役人手伝い」となって励み本採用を目指したとか。

 

王の代替わり毎に中国から任命を受ける「冊封」というのは琉球にとって最大の行事でした。冊封使と呼ばれる役人が中国から来訪しその儀式を行うのですが、半年ほど逗留しますので、その間のもてなしが大変だったようです。

琉球では元々豚肉を食べる習慣がなかったのですが、冊封使が豚肉を出せと強要したので仕方なく豚を飼育するようになったとか。

現在の沖縄料理の大きな部分を占める豚肉料理もこれから始まったそうです。

 

琉球の士族は名前を3つ持っていたそうです。

一つは、童名(ワラビナー)で、幼名とは異なり一生使うのですが、家族内や親戚知人のみが使うものです。

次に和名があります。

これは日本風の構造からなり、家名、「位階の称号」、名乗りと続きます。

たとえば、玉城親方朝薫(たまぐすくうぇーかたちょうくん)という人がいますが、玉城が家名、親方が位階、朝薫が名乗りとなります。

 

さらに、唐名(からなー)というものがあり、これは中国風の名付けです。

上記の人の唐名は、向受祐と言います。向は姓、受祐の部分は諱です。姓は先祖代々変わることはありません。

 

琉球での宗教といえば神女が儀式を執り行うというイメージが強いものですが、仏教もかつては大きな勢力を持っていたようです。

ただし、宗派は真言宗臨済宗しかなかったのですが、それでも多くの寺院がありました。

しかしほとんどの寺院は沖縄戦で焼失しその後も再建されなかったそうです。

 

観光地としては人気の高い沖縄ですが、こういったことはあまり知らないまま楽しまれているようです。

 

知れば知るほどおもしろい  琉球王朝のすべて

知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて