浮世絵は世界的にも人気が高く、多くのヨーロッパ近世の画家に影響を与えたということは知ってはいても、実際にどのようなものか知識があるという日本人はあまり居ないでしょう。
中学高校の美術の授業でも、ゴッホやモネは教えてもあまり浮世絵の画家のことは教えません。
冒頭にある例としてエピソードが書かれていますが、ある商社員が海外で知り合った人の家に招かれて行った時、うちにも浮世絵が一枚あるんだと言われて、見せられても何が何やら全く分からず、「哥麿画」と署名があったものの「歌麿」じゃないから偽物でしょうなどと知ったかぶりをして大恥を書いたとか。
とはいえ、私自身も安藤広重、東洲斎写楽、喜多川歌麿といった名前は聞いたことがあり、その代表作というものは見た覚えはあっても他の知識は断片的です。
他の人も同じようなものでしょう。
というわけで、国際浮世絵学会常任理事という著者の稲垣さんが、初歩の初歩から浮世絵について教えてくれる本です。
これ一冊読めば、一応外国人には知ったかぶりはできるかもしれません。
浮世絵の始まりは江戸時代でも初期の寛文から延宝年間(17世紀末)頃のようですが、最初の頃は木版画といっても墨一色のものでした。
18世紀亨保の頃になってようやく紅をつかった「紅絵」「漆絵」というものが出てきます。
その後、18世紀後半の明和になってようやく多色刷りの錦絵が誕生しました。
浮世絵の制作には、版元の指揮のもと絵師、彫師、摺師などが分業し、職人技の粋を尽くして作り上げました。
絵師だけは今でも名が残っていますが、彫師摺師はほとんど知られることもありませんが、その技量は相当なものだったようです。
著名な浮世絵師たちの紹介もあります。
版画浮世絵を創始したと言えるのは、菱川師宣です。17世紀の江戸で様々な流派の絵画を学び最初は本の挿絵程度であった浮世絵をそれが主体となる芸術作品に高めました。有名な作品は肉筆画ですが、「見返り美人図」です。
18世紀末には偉大な作者たちが続出しました。
大首絵は役者絵に使うことが多かった技法で、上半身のみを大きく描くのですが、それで女性を描くという斬新なものでした。
東洲斎写楽はその正体がまだ不明ということですが、その描き方はユニークなものでヨーロッパに伝わり多くの画家に影響を与えました。ただし、役者たちの老化ぶりや顔の欠点までありのままに書くという姿勢が嫌われ、国内ではあまり人気はなかったようです。
一方、歌川豊国は役者は役者らしく、美人は美人にと、大衆のニーズを上手くつかみ人気を得ました。
その後、歌川派といわれる弟子たちの繁栄の基を築いたとも言えます。
歌川広重(安藤広重)も歌川派ですが、豊国の弟子になるのは断られ、豊国の兄弟弟子に当たる歌川豊広の弟子となりました。
名所絵と呼ばれる風景画で数々の名作を残しています。
なお、安藤というのは武士の生まれの広重の本名であり、浮世絵の方では決してそうは名乗らなかったようです。したがって、「安藤広重」というのは浮世絵師としては不正確ということになります。
葛飾北斎は風景画で世界的に大きな名声を獲得しましたが、本人はずっと生涯お金の工面に悩まされ、家族の不幸も相次いだそうです。
まあちょっとは知識が増やせたかな。