爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産」小林標著

ラテン語古代ローマの言葉であり、ヨーロッパでは古典として学ばれ近代までは学術用語として使われていたというイメージです。

しかし、現代の世界語とも言うべき英語の中にはラテン語から直接続いている言葉も多く、また新たに作られる言葉もラテン語の法則に則っていることもあり、現代でもラテン語を知っているということは必要な場面も多いようです。

 

ラテン語の遺産としては、言葉が現代の英語をはじめとして西欧語には数多く取り入れられており、世界中に通用しているものがあります。

たとえば、A.M.、P.M. スポーツなどでよく用いられる vs. (普通は英語式に”ヴァーサス”と読まれますが、本当は”ヴェルスス”、”ブイエス”と読むのは全く間違い)

etc. (英語式にエトセトラと読まれるが、本当は et cetera)など、使われているものが多く見られます。

そして、一見ラテン語風には見えずに英語の一般語彙として感じるものであっても、computer virus などはラテン語そのものの単語を活用したものです。

ただし、”virus”は英語風であれば”ヴァイラス”と読みますが、本当の発音は”ウィールス”に近いもののようです。

 

ラテン語の文字の遺産というものは、ローマ字と呼ばれているのがそのものです。

これは、フェニキア文字を取り入れて古代ギリシア人が作り出した、ギリシア文字をローマの先住民族エトルリア人が作り変え、それをローマ人が採用したもののようです。

現代のローマ字と比べると、Jという文字がなく、UとVとは同じように使われていたという違いがあります。

 

現代でもラテン語を学ぶ人は特に西欧では多いようですが、文法はかなり難しいと感じるようです。特に英語圏の人々では挫折する人もいるようですが、これは動詞だけでなく形容詞や名詞でも語形変化が多いためのようです。

しかし、その変化は極めて論理的で定型的なものであり、一度覚えてしまえばほぼ例外なしに応用できます。

かえって、英語のように不規則変化や例外だらけの方が一つ一つを覚えなければならず、面倒と感じるのは著者だけではないはずということです。

 

世の中に新しいものがどんどんと出てくると、必ずそれを表す言葉というものが必要になります。

ラテン語はその点「言語資源力」というものの再利用の可能性が高く、現に最近出てきた事象であっても古いラテン語を応用することで新語を容易に作ることができます。

一方、日本語はそのまったく逆の現象があり、単語を再利用などはほとんどできず、かつては漢語、近代は西洋語を引っ張ってこなければ言い表すことができませんでした。

現在は英語が造語力に優れているように見えていますが、それはラテン語由来の要素によるものであり、接頭辞のpre-,post-,modern-などを使った新語が数多く作られていますが、これらはすべてラテン語です。

ゲルマン語由来の接尾辞の -ly, -ness, といったものもありますが、最近ではそれほど活発な生産性がないようです。

 

古代ローマではラテン語が力をつけてくるに従い、文学も栄えて黄金時代とか白銀時代とか呼ばれる最盛期を迎えました。

黄金時代の文学者として有名なのが、キケロです。

キケロは完全なギリシア語ラテン語バイリンガルでした。そのため、ギリシア語からの語彙のラテン語への変換ということも数多く行いました。

英語のreasonの語源となった、ラテン語のratioは、ギリシア語のlogosの訳語ですが、これは元は「計算」という意味でした。キケロがそこに「理性」と言う意味も含ませて使い始めました。

現代日本で価格が手頃なことを「リーズナブル」と使う時、そこにはキケロの創造した言語操作が表れているそうです。

 

ラテン語で「女」はfeminaと言うのですが、これそのものは英語には残っていません。

しかし、形容詞型のfeminineは残りました。

そこに-ismをつけた femininismが派生しました。

いつのまにか形が変わって短くなりfeminismとなり、意味もずれてきました。

なお、英語で生物学的な雌雄を示す、femaleとmaleは全くの無関係だそうです。

maleはラテン語のmas(男)の形容詞からフランス語を経由して入ってきました。

スペイン語のmacho(マッチョ)と同語源になります。

 

先住民を表すindigena、原住民を表すnativusもラテン語です。

nativusから由来するのが英語のnativeで、イギリスが海外に植民地を獲得しに行った時に現地で出会ったのがnativesでした。

現在の日本では a native speaker of English を一言に縮めて「ネイティブ」とやってしまうので、著者から見れば非常に変に感じるそうです。

「ネイティブの外国人」というのは、論理破綻であり、来日した外国人から見た日本人が「native」のはずなのですが、もはやそういった正統論は誰も見向きもしません。

 

そういった古典ラテン語は、ローマ帝国が亡びるとどんどんと変わっていきました。

聖書に使われていたために、教会や修道院の片隅で守られていたのですが、それも正確に知る人も少なくなり、一番正確だったのがアイルランド修道院だったそうです。

そして、世俗のラテン語はどんどんと変化してイタリア語、フランス語、スペイン語などのロマンス語と呼ばれる言語になりました。

一方、古典ラテン語を守ろうとする動きも強まり、古典語としての役割がヨーロッパで守られることとなります。

今後も英語を通してラテン語の遺産を使っていくことになるのでしょう。

 

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)