爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「筑紫政権からヤマト政権へ 豊前石塚山古墳」長嶺正秀著

新泉社から出版されている「遺跡を学ぶ」シリーズの中の一冊で、福岡県京都郡苅田町にある「石塚山古墳」の詳細を、苅田町教育委員会の長嶺さんが豊富な図版とともに解説しています。

 

石塚山古墳は北部九州で最大最古の前方後円墳ということで、紀元3世紀後半と推定されている、畿内古墳の特徴を備えたものです。

その位置は北九州の瀬戸内海周防灘に面する海岸線であり、現在ではやや内陸に入ったところですが、当時は海岸の波打ち際であったようです。

 

残念ながら盗掘などで大きく破壊された上に、第二次大戦中に戦略上の都合で軍によりさらに破壊されたそうです。

 

戦後になりようやく史跡指定されて学術的な発掘がされ、その構造や副葬品の調査研究が行われました。

 

紀元1世紀頃までは北部九州の筑紫連合政権とも言うべき小国群が優勢であり、その中で奴国や伊都国といった国が盟主であったようですが、その後はヤマトの勢力が力を伸ばし、九州にも進出してきたようです。

 

この石塚山古墳はヤマト政権が進出してきた最初の根拠地であったようです。

 

現場の発掘調査というものが伝わってくるような本であったと感じます。

 

筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)