爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「アーリア人」青木健著

アーリア人」と聞くとどうしてもナチス・ドイツが利用した人種論を思い出してしまいますが、実際にアーリア人と言うべき人々はイランからインドにかけて住んでいた牧畜民で、その後は様々な方面に散っていきました。

他の民族と同化したものもあります。

 

本書はナチスの言ったような北方系のアーリア人なるものはごく簡単に触れるのみで、正統派というべき中央アジアからイランにかけての人々について詳細に語ったものです。

 

しかし、やはりドイツなどのアーリア人概念がどうして生じたかについてから紹介しておきましょう。

インドヨーロッパ語族と言われる、共通の祖語から生じた言葉を話す人々は主にイランを中心とした地域から各地に移動していきました。

実は見た目も相当違うヨーロッパ人とイラン人、インド人が共通の祖先を持っているということは、ようやく18世紀になって知られるようになりました。

インドがイギリスの支配下におかれ、イギリス人が多数インドに入り込むようになると、言語学者もインドに赴きました。そこで彼らがふれたサンスクリット語は驚くほどヨーロッパ言語と共通でした。

そこから、人種的にも共通祖先を持っているという認識になっていきます。

 

そして、それは常にヨーロッパより先行していたセム系民族に対するコンプレックスをひっくり返そうとする意識にも影響されました。

ユダヤ教キリスト教も、セム民族が生み出しました。

それに対するにアーリア人種であるという自意識が必要だったようです。

実際はイランから発した一部の人々がヨーロッパに達し、北方民族と混血して生まれたもののようです。

 

本書の中心はウクライナから中央アジアにかけての草原に栄えた騎馬遊牧民であるキンメリア人、スキタイ人、サカ人、パルティア人、

そしてインドに進出したインドサカ人、インドパルティア人、

さらにイランの地で世界帝国を樹立した、メディア人、ペルシア人、等々です。

イランにイスラームが入って後は、イラン系アーリア人の生き残りのパシュトゥン人やペルシア人イスラム化して現代まで続いています。

 

イラン系アーリア人の宗教としてはゾロアスター教が有名ですが、その形態も各時代、各地方で違いはあるようです。

しかし、どれもイスラム化の後には消え去ってしまいました。

 

なお、この地域の文化研究はかつてはギリシア語文献によるものがほとんどであり、使われる用語もギリシア語からのものでした。

本書ではできるだけイラン系アーリア語で表記をしたということで、あまり聞き慣れないものもありました。

たとえば、「ハカーマニシュ王朝」とは何かと思えば、「アケメネス朝」のことで、かつて慣れ親しんだ「アケメネス朝ペルシャ」のことでした。

また、「ザラシュストラ」も「ゾロアスター」のことでした。

 

歴史もどの方向から眺めるかによってその見え方が大きく異なってくるようです。

 

 

アーリア人 (講談社選書メチエ)

アーリア人 (講談社選書メチエ)