爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

八代の西南戦争遺跡

熊本県八代市の歴史遺産を散歩でめぐるという、自己満足シリーズその2です。

ちょうどNHKのドラマでも西郷さんが扱われていますし、この際八代の西南戦争関連のところを見て回ろうかというものです。

 

この際ですから、西南戦争の経緯を調べたので簡単に記しておきます。

明治10年2月15日 薩軍鹿児島を出発

     2月20日 熊本川尻で開戦

     2月21日 熊本城を包囲

           熊本城周囲の各地で戦闘

     3月1日から31日 田原坂の戦い

     

     3月18日 官軍の別働隊が、衝背軍として長崎より船で八代日奈久に上陸

           500名ほどの軍勢

     3月25日 さらに4旅団が八代上陸

     3月26日より 小川、松橋などで薩軍と激戦

     4月13日 衝背軍が熊本城に入城

 

     4月4日 薩軍が援軍を鹿児島より派遣し、八代急襲 17日まで八代周辺

          にて激戦

     4月17日 八代萩原堤の戦いで宮崎八郎戦死

     4月19,20日 熊本城周辺にて城東会戦、これで薩軍は敗れ敗走

     その後、人吉、大口、都城と撤退しながら最後は鹿児島へ

     9月24日 鹿児島の城山で西郷隆盛以下自刃。

 

このように、八代周辺の西南戦争遺跡は、戦争後半の薩摩軍が敗れるあたりの戦いに関するものであるのが分かります。

 

それでは、関連現地の写真を。

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官軍の本陣が置かれた八代市出町の光徳寺です。

現在は門から周囲を工事中のため見にくくなっています。

中央手前の木は相当古いもののようですから、140年前にもあったのでしょう。

 

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次は別働隊の本陣であったところです。八代市塩屋町慈恩寺

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どちらも今では静かな町中の寺ですが、その時には数百人の兵が居たのでしょう。

もちろん、現在では当時を思わせるものは全く残っていません。

 

上記の経過を見ると、官軍が八代に留まっていたのはせいぜい1月足らずのようです。

熊本城を攻めていた薩摩の軍勢も周囲から集結した官軍によって打ち破られ南方に逃げていきました。

 

八代の西南戦争戦跡は、あとは八代市東方の薩摩軍本陣跡や萩原堤の戦場等、そして日奈久の官軍上陸地ですが、萩原堤までは我が家から6km余り、日奈久に至っては10km以上離れていますので、ちょっと散歩で立ち寄るというわけには行きません。

訪問はちょっと先になるかと思います。