群馬県前橋市で85歳の男性の運転する車が暴走し、自転車通学の高校生2人がはねられて今も意識不明の重態ということです。
www.sankei.com被害者の方々はまことにお気の毒で、回復をお祈りします。
また、加害者の親族も止めようとしながらできなかったということで、いくら後悔しても足らないほどの心境でしょう。また前橋のような地方社会ではそこに住み続けることもできないでしょう。
事故現場はちょうど私の子供が生まれたすぐ後に数年間住んでいたところの近くで、懐かしい場所でこのような事故が起きたということが残念です。
しかし、予想通りにマスコミの報道は高齢者ドライバーの危険性強調という方向に向いてきました。
危険は高齢者ドライバーの誰でも分かっていることです。
それでも運転しなければ社会生活ができないという、この車社会の現状には誰も言及しようとはしません。
1年ちょっと前にも同様の事故があり、そのときにもブログで書いていました。
酒酔い運転、過労運転、てんかん患者運転と、事故が起きるたびにそういった運転者の問題点指摘が繰り返されています。
高齢者運転も同様の非難がなされ、まるである程度の年齢に達したらすべて免許返納し運転はするなと言っているようです。
酒酔い運転については絶対的な否定も当然ですが、その他の状況は誰もが陥る可能性があることばかりです。
そろそろ、「何が本当の問題点なのか」をはっきりとさせるべきではないでしょうか。
「ちょっとした狂いで何人もの人を殺せるような自動車自体が問題」なのです。
そのような「自動車に過度に寄りかかった現代社会」が問題なのです。
私が幼いころの50年以上前の日本のほとんどはこうではありませんでした。それでも誰もが普通に暮らしていました。
それを、誰もが車を運転するということを必須として成り立つ自動車社会に変えてしまいました。
その社会では車を運転できない人々は二流市民以下の存在です。
特に、病気を抱える人や高齢者はそれを怖れます。できるだけ運転をしたいと願います。誰がそれを批判できるのでしょうか。
車など無くても困らないのは、交通至便なごく一部の都会だけです。