爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「やる気もある!能力もある!でもどうにもならない職場 閉塞感の正体」草間徹著

閉塞感とは、個人が抱く感覚ですが、職場や社会の中で「狭いところに閉じ込められ」「身動きができない」「手のうちようがない」と感じられる状態です。

 

今の日本社会はこのような閉塞感が充満しているようです。

 

著者の草間さんは、クレイア・コンサルティングという企業の組織や人事をコンサルティングする会社を経営しており、そのような企業の雰囲気をなんとかして変えようということに取り組んでいます。

 

この本はそのような多数の実例から、少しでも働く人々が希望を持てるようにできる方策を探っています。

 

現在の企業では、20代から50代までの幅広い年齢、キャリア、地位の人々の誰もが閉塞感を感じてしまうという状況になっています。

第1章では、そのような人々の実例を架空の物語として示していますが、どれも実話を元に書かれています。

30代の中堅システムエンジニアは、マネージャーへの昇進の道は閉ざされています。

40代のOA機器メーカーのフィールドエンジニアは子会社への出向を迫られ行けばもう帰る事はありません。

50代の人事部長は会社が合併され社員のリストラを実施させられ、多くの人を辞めさせたあと自分も退職せざるを得ません。

20代のベンチャー企業社員はやりがいのある仕事を求めて転職をしたら条件の悪い求人しか無く、転落寸前です。

 

こういった閉塞状況になってしまったのはなぜかということを、次章以降で解説しています。

事業の変化、組織の目詰まりというものが起こり、社員の年齢構成の逆転が起き、どこでも高年齢社員が多く、若年社員が少ないということになってしまいました。

これでは、昇進どころか定年まで働くということも危なくなります。

また、事業が急激に変化しているために専門性を持った仕事をしている社員もその仕事自体無くなってしまうという事態も頻発しています。

 

会社のビジネスモデルと言うもの自体、非常に速い速度で変化していきます。かつては儲けの仕組みであったやり方がもはや通用しなくなっているにも関わらず、そこから抜け出せない会社が多いのです。

いよいよだめとなって拠点閉鎖となると、そこに勤めていた人には転勤か退職かという道しか残されていません。

会社側も希望退職の募集を行いますが、それも度重なると社員たちの人心の荒廃となります。

 

現在の多くの企業では、業績評価制度を採用していますが、その制度の基本となっているのは予算制度です。

営業職の場合では、販売予算というものが決められておりそれの到達度で評価されるということが多いのですが、これまでのデフレ経済ではほとんどの場合売上が昨年より低下します。

しかし、販売予算は必ず前年より上回って作られますので、ほとんどの場合予算未達となり、到達度は低くなるようになっているのです。

しかも、販売促進費や支援スタッフ費用は削られています。ますます追い詰められていくばかりです。

 

会社の年齢構成で、ピラミッド構造ということが言われますが、実際に高度成長期の日本経済ではこのような構造が存在できる状況でした。

どんどんと事業が拡大していったために、若年層はどんどんと増加し、中年層の就くべき管理職も増加していました。

あまり苦労もせずにピラミッド構造が構築できたのです。

しかし、常に拡大していく企業でなければこのような事態はもう望めません。

それでもその構造を続けていたのですから、破綻しないわけには行きません。

 

さて、現状とその経緯は分かったとして、それではどうすれば良いのでしょうか。

本書第4章に書かれているのがその方策です。

自社の人事制度を熟知し、そこで最良の結果を出す。

専門性の変化に対応し、新技術でも専門家としてやっていける実力を付ける。

社外でも通用する人材となり、場合によっては事業を興す。

 

まあ、お説ごもっともなんですが、そんなことができる人ならそもそも「閉塞感」なんて持っていないと思いますが。

 

なお、最後にこのような日本の企業社会での閉塞感の原因は「最初に入社した会社でその後の職業人生が決まる」ことにあるとしています。

これはまったく間違いないところで、ここに全ての問題点も凝縮されていると感じます。

大企業や国家公務員がそうであるのは言うまでもないのですが、ベンチャー企業などもすぐにそれに染まってしまうようです。

退職金や年金制度も長期の勤続が有利となっており、制度から変えていかなければ動かないでしょうが、どこかで手を付けなければならないことでしょう。