爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「聖書考古学 遺跡が語る史実」長谷川修一著

キリスト教旧約聖書というものは、ユダヤ民族の歴史を語っています。

聖書全体を真実と考えるのが宗教としてのキリスト教であり、教徒は程度の差はあれそう信じているのでしょうが、実際にはとても史実とは考えられないような話もあるのは確かです。

一方で、中東世界は古代文明の集まった場所でもあり、考古学者の興味の集中する場所でもあります。

その2つがぶつかることも多いと思うのですが、著者の長谷川さんの研究対象分野というのもまさにその中心の場所だったようです。

 

イスラエルやシリア、レバノン等の考古学検討をしていけば、聖書に書かれていることと食い違うことはいくらでも出てくるでしょう。

そんな摩擦は避けたいという人も多いようですが、著者は立ち向かい聖書の記載が考古学的事実と異なることは指摘しています。

 

旧約聖書でも創世記やエデンの園が実際の歴史であったと信じるのは原理主義者だけかもしれませんが、アブラハム以降の族長時代、エジプトでの奴隷境遇から抜け出し(出エジプトモーセ十戒を経てイスラエルの地を獲得していった時代、さらにイスラエル王国を打ち立てた以降の時代となると、かなり史実が含まれているように感じる人が多いでしょう。

実際に、かつては学校での歴史教育でも多くが史実そのものでないにしても何らかの事実を反映していると考え扱われていました。

しかし、考古学研究が進んでくるとどうしても事実と食い違っていることが多いことが明らかになったようです。

 

まず、旧約聖書がいつ頃書かれたかということを考えておく必要がありそうです。

もしも羊皮紙やパピルスに書かれたテキストがあったとしても残ってはいないのですが、粘土板に書かれたものは発掘されることがあります。

このようなもので発見されている最古のものは紀元前9世紀のものであり、紀元前8世紀以降のものは数多く見つかっています。

どうやらその頃に聖書が字として記述され始めたようです。

ただし、それ以前にはそういった内容は口述により伝えられていたはずです。

それは専門の人々により代々伝えられ続けていました。

それが何時始まったかということは確定することは不可能です。

こういった例は時代ははるかに下りますが、日本で古事記を文字化した事情と同一です。「稗田阿礼が暗唱していたものを太安万侶が筆記した」とされています。同様のことが聖書でも起きたのでしょう。

 

ユダヤ民族の最初の族長と考えられているのはアブラハムです。

その後、イサク、ヤコブといった子孫につながっていきますが、彼らがカナンの地すなわちパレスチナを神から与えられたということになっています。

しかし、どうやら考古学的にはその時代にパレスチナでこのような人々の居住の証拠は得られていないようです。

 

エジプトの地で苦しんでいたイスラエルの民をモーセが導き荒野をさまよいパレスチナに至るという、出エジプト記旧約聖書の一つのクライマックスですが、エジプトの記録はかなり古い時代のものまで文字として残っており、そこにはこのような事実の反映はほとんど認められません。

 聖書でも年代の記録が記されており、それを積算すれば西暦との換算も可能ですが、それで計算すると出エジプトは紀元前1440年と計算できます。

しかし、その頃はエジプト第18王朝のトトメス三世の治世であり最盛期と言ってよい時代でした。パレスチナまでその統治は及び、イスラエル人たちがエジプトは逃れても、行き場所は無かったでしょう。

そこで、一部の研究者たちはその年代はあきらめて、別の時代にこのような時期が無かったかを探そうとしますが、いずれの時代にもエジプト側の記録にはこのような事実は見られないため、史実ではないと考えられます。

 

とにかく、聖書ではエジプトを逃れたイスラエル人はカナンの地に入り様々な国を攻略し国の再建を果たします。そこではエリコの城壁を角笛を吹き鳴らして崩したという印象的な挿話もありますので、このエリコが現在のどこか、その城壁に崩れた所があるかということを探そうとする聖書学者も多かったのですが、これも事実とみなすことは難しいようです。

 

ダビデ、ソロモンで最盛期を迎えたというイスラエル王国時代になれば考古学的な遺跡と聖書記述が近づいてきそうなものですが、これもピタリとは行かないようです。

なにしろ、その都であったのが現在のエルサレムですので、発掘も思うに任せず難しいようです。

ダビデという王が存在したという証拠もはっきりとはしていないということです。

ただし、この付近の発掘が進められないのは現在の政治情勢のためでもあり、安定化すれば新たな発見もできるかもしれません。

平和が訪れ、遺跡発掘も安心してできるようになることを望みます。

 

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)