COP23,国連気候変動フィジー会議といっても、フィジーでは会場も無いためにドイツで開かれているという会議が開かれています。
パリ協定の具現化を目指しルール作りを行うということですが、アメリカがしゃしゃり出てきて化石燃料の重要性をアピールするとか、なかなか方向性も見えないようなものでしょうか。
他にもこれに合わせて発表されたアピールで、石炭火力発電に力を入れる日本を非難したり、アメリカの連邦政府はもはや頼りにならないので州単位で参加したりとか、あまり実効性のある話が伝わってこないような程度のものになっているようです。
確かに気候変動はその影響が強く出ているようです。しかしそれが二酸化炭素による温暖化かどうかということはまだ結論は出せるものではないでしょう。
このような状況では、いくら気候変動の被害者(島嶼国、熱帯地方各国)がその危険性を強調したところでその望む方向に進めることはできないでしょう。
私の主張はこれまでもこのブログの「エネルギー文明論」で示していますが、現代の文明は石油などの化石燃料に過度に依存した文明であることを再認識し、そしてその化石燃料がいつまでも変わらずに供給できるものではないことを初認識し、その必然的な結論としてすぐさま化石燃料依存の文明をストップすべきだというものです。
これは、二酸化炭素による温暖化を避けようとする連中の主張と同じように見えるかもしれません。
しかし、そこには大きな違いがあります。
彼らは、「化石燃料の使用が二酸化炭素濃度上昇につながり、その結果として地球が温暖化し、その結果として気候変動につながり危険性が増すために化石燃料使用に制限をかける」という、非常に回りくどい論法を使っています。
私は、「化石燃料に依存する文明は間違いであるのですぐにやめろ」と言っています。
どちらがクリアか比べるまでもないでしょう。
二酸化炭素温暖化論者は、その科学的根拠の段階から立証に苦労しなければならなくなります。(まあ無理でしょうが)
そんな苦労はせずとも、化石燃料を使う事自体がいけないことだと言えば良いのに。
しかも、すぐにでも化石燃料依存の社会を作り出そうともせず、アメリカや中国の批判、日本の石炭火力発電批判など、他人の批判だけをするだけで、なぜ化石燃料依存文明の阻止に動こうとしないのでしょう。
車を使う社会の阻止、電気を使う社会を阻止など、アメリカや中国を批判する前にできることなどいくらでもあるはずです。
結局、彼らは二酸化炭素温暖化が気候変動の主因であることなど、自分たちも信じてはいないのでしょう。
そして、それをすぐにでも断つべき方策をすることもなく、アメリカや中国日本などを非難していれば良いと考えているのでしょう。
これだけでもCOP23の不毛であることは分かると思います。