爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「〈鬼子〉たちの肖像 中国人が描いた日本人」武田雅哉著

〈鬼子〉には「グイヅ」とフリガナが振ってあります。

中国人がかつて日本との戦争の頃に日本人を指して呼んでいた言葉です。

 

鬼子とは人間とは見なされないものです。

日本でも「鬼畜米英」などと言っていたものです。

 戦国時代のように相手も同類と知って戦っていた時代とは異なり、普段は顔を合わせることもないような遠国と戦う場合はどこでもそうなりがちなのかもしれません。

 

ただし、中国で日本人を「鬼子」と呼んで忌み嫌ったというのは、日中戦争などの起きた20世紀の方が強かったようなのですが、本書では日清戦争前後の資料を主に解説していということで、本当は「倭奴」を呼んでいたようです。

最終期にはいってようやく「鬼子」と呼ぶ例が出てきたということですが、20世紀に入っての事例はまた別の本にしたいということでした。

 

1920年代以降の抗日戦争の時には、数多くの抗日宣伝画が描かれプロパガンダ用に配られたのですが、そこでは日本軍や日本人というものが醜悪なものとして描かれており、東条英機をモデルとしてつぶれた鼻、出っ歯、メガネ、禿頭といった風貌で表されました。

ただし、ここでは醜悪であってもあくまでも「人間」としては描かれており、それはその前の時代、日清戦争に至る頃とはかなり違いがあるようです。

 

そもそも、中国文明においては中華と言う場所が中心であり、そこに住むのが「人間」でした。

そこから離れると徐々に異型になっていき、人間離れしてくるのですが、それを中国人は「鬼」と表現していたのです。

「鬼」という言葉は死後の霊魂なども指すことがあるのですが、怪物じみた存在を表現することも多々ありました。

漢代に成立したと言われる山海経という本がありますが、これは地理を扱っているもののその中には遠い異国に住む怪物といった表現もあります。

明代に博物学書として書かれた李時珍の「本草綱目」という書は有名なものですが、その中にも遠国に住む怪物というものをまとめた章もあります。

 

清の時代になって西洋などから外国人が数多く訪れるようになっても民衆の意識は大して変わるものではなく、本当に自分たちと同じ人間かどうか怪しんでいました。

イギリス人マカートニーが最初に朝廷に入り皇帝乾隆帝に拝謁した際、跪いて叩頭するように迫った清国人に対しイギリス使節は強硬に抵抗したために、イギリス人は膝関節が無く、曲げることができないので跪けないのだと荒唐無稽な解釈を広めそれを一般人は信じ込んだようです。

 

日清戦争が迫る時代になるとさすがに民衆間でも交流が広がったために、日本人が人間ではないといった認識はなくなりました。

しかし、中国での日本に関する報道は悪意にみちたものであり、怪物が出没するという話も頻発、なにがあってもおかしくない夷狄の地というイメージを振りまきました。

それ以前には日本を表すのに「日」や「日本」と書かれていたものが、「倭人」「倭奴」などと蔑称を使うようになりました。

これも中国民衆の悪意が強まったためでしょう。

(ただし、日本の国内での報道もそれ以上に悪意だらけであったのも言うまでもありません)

 

中国では「鬼子」というのはもともと西洋人のことを表していました。

しかし日清政争以降の日本進出が激しくなると、まず「ニセ鬼子」と日本人を呼ぶようになり、さらに満州事変以降は「鬼子」と言えば日本人ということになります。

 

現代から見ればまだまだ幼稚とも言えるレベルの宣伝合戦ですが、現代でも双方のやっていることを冷静に見れば同様のことを続けているのかもしれません。