爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「修己治人の学『大学』を読む」守屋洋著

中国の古典として四書五経というものがあるというのは知ってはいても、またその四書の書名が大学・中庸・論語孟子であることを知ってはいても、その内容まではまったく分からないままでした。

 

その一つ「大学」を読むという本を中国文学者の守屋さんが書きました。

 

儒教の原典としての四書五経とは、四書(大学・中庸・論語孟子)五経(書経易経詩経礼記・春秋)ですが、もともとは五経が重視されており、漢の武帝の時代に儒教が国教とされた際にも「五経博士」が置かれて儒教研究・布教の第一とされたのですが、四書はあまり注目されていなかったようです。

 

それが、宋の時代になり朱熹朱子)が現れ、それまでの儒教が国による保護にあぐらをかいて形骸化したものを再興しようとし、いわゆる朱子学を立ち上げた際に取り上げたのが「大学」でした。

朱子学は宋時代に起こったので「宋学」とも言いますが、その後日本の江戸時代に儒教を幕府や各藩が取り入れて教育の基本とした際にもその朱子学を中心としたものでした。

そのため、現代から見ても江戸時代の封建体制を支えていた「儒学」というものが実は「朱子学」であったことになります。

 

朱子学が目指したものはもともとの孔子孟子が目指したものと同じとしています。

それは、「修己治人」つまり個人の修養から始まり家庭の道徳、社会の倫理を正し、天下国家を収めると言うことであり、重視されたのが「徳」です。

上に立つものがまず徳を身に着けそれを下々に及ぼしていくというのが儒教の目指す徳化でした。

 

孔子孟子もその修己治人を説いていたのですが、実はその具体的なイメージは作っていません。

一貫した体系としては作っていませんでした。

それを作り上げたのは実は宋代になって朱子が成し遂げたことでした。

 

朱子学儒教古典の中でもっとも重要視したのが「大学」でした。

それに続けて「論語」「孟子」「中庸」と進み、さらに「五経」を学ぶべきだとされたのでした。

 

「大学」はもともとは五経の一つ「礼記」の中の一篇に過ぎず、字数も全部で1753文字と極めて短いもので、成立も不明確なものです。

朱子はその一篇にかなり修正を加え、朱子学の基本として位置づけました。

すべての門人はまず大学を学び儒学を学ぶ基本を身につけるものとしたのです。

 

本文は朱子が書いた「大学章句序」に「経一章」「伝十章」、さらに参考として「白鹿洞書院掲示」を原文、読み下し文、現代語訳を併記しています。

書かれている文章はどこかで聞いたようなものが多く、江戸期以降かなり浸透したものであることが分かります。

「修身斉家治国平天下」とか、「徳は本なり、財は末なり」、「長幼序あり、朋友信あり」等々、封建的というイメージそのままの言葉が並んでいますが、現代の政治経済などの惨状を見ればこういった姿勢が何より必要なことと言えるでしょう。

 

相撲でもプロ野球でも新人を集めての基礎知識講習会が開かれているそうです。

政治家も新人(だけじゃなかったベテランも、閣僚級も、もちろん総理も)を集めてこの「大学」のようなテキストを用いて政治姿勢というものの徹底講習をやったらいかがでしょうか。

 

「大学」を読む

「大学」を読む