爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

名前の流行について、テレビ番組から

ちょうど読書記録でも人名用漢字についての本を読んだところですが、先週見たテレビ番組「日本人のおなまえ」でも関連した問題を扱っていました。

www4.nhk.or.jpこの番組ではこれまでは「名字」に関する話題が多かったのですが、この回では「個人名」について触れていました。

 

引用サイトが消えてしまうかもしれませんので内容も少し書いておきますが、子供の名付けで最近非常に多いのが「大翔」という男の子の名前です。

ただし、この読み方は千差万別、「はると」「たいが」「だいき」など10種以上の読み方があるとか。

 

ここで番組ではその裏にも触れています。

「日本の戸籍には漢字の読み方は書いていない」ということです。

住民票には便宜上書かれていることもあるようですが、基本となる戸籍については読み方はまったく触れられていません。

 

その穴を突いて、「唯一無二の名前」を求めたがる昨今の風潮の中、変な読み方(誰も真似しないから唯一無二)にしてしまうのでしょう。

 

実はこれは国語上の大問題であると私は感じています。

漢字の読みというものには、音読みと訓読みの2種があるということは一般知識でしょうが、音読み・訓読みそれぞれに数種の違った読みがあることも判ると思います。

音読みについては、中国でのその漢字の読み方ですが、中国でも時代により字の読みが相当変わってきていますので、それが反映しています。

たとえば、「行」と言う文字に「コウ」「ギョウ」「アン」といった読みがあるのはその現れです。

 

また、訓読みというものは「読み」とは言うものの実際は「漢字の意味」ということです。

「心」という漢字が日本に入ってきたときには「シン」と読んでいたのでしょうが、それがヤマトコトバの「こころ」と同じ意味であるということが分かると、「心」という文字を「ココロ」と読むようになりました。

一つの漢字に幾つもの意味があれば訓読みも複数あることになります。

 

こういったことを無視し自分勝手におかしな読み方を強制するような人名というものは日本語の体系を破壊しようとしているとも言えるのではないかと思っています。

 

まあ、その対策としては戸籍に戻るんですけど。

変な読み方の名前については「そんな読み方は戸籍にも書いていないだろう」と言って音読みで済ませること。つまり「大翔」クンは「ダイショウ」とだけ読む。

 

ああ、こんなことばかり書いてるから嫌われるんだろうな。