戦国時代と言えば歴史小説やドラマなどにもよく登場する時代ですが、その当時にどのような言葉が話され、書かれていたのかということはあまり実感されないものでしょう。
日本語は古代から続いていた「古代語」というものが平安時代あたりまで、そして「近代語」は江戸時代以降と見ることができますが、その狭間になる鎌倉時代・室町時代は「中世語」とも言うべき言葉でした。
古文で誰もが習った(はずの)「係り結び」というものは、古代語に特有のものですが、それが徐々に機能しなくなっていたのが室町時代であったということです。
前期中世語(鎌倉時代)は古代語が近代語に移行していく様相を示し、後期中世語(室町時代)は古代語らしさが消えてしまったということができそうです。
戦国時代(室町時代後期)といっても、皆が武士で戦いに明け暮れていたわけではなく、他にも禅林・公家という人々が活躍していました。
この本では、当時の日本語を見る上で、公家の日記(第1章)、節用集から見る時代(第2章)、宣教師の時代(第3章)、豊臣秀吉のリテラシー(第4章)といった具合に描いています。
「節用集」というのは、現代の辞書のようなもので、室町時代に成立し多くのものが作られたようです。
見出し項目があり、それをイロハ順に並べ、さらに分類別にくくってあるという、形の上では現代でも通用する形式ができていました。
ただし、当時は印刷というものがまだ無く、すべてが書写により写されていました。そのため、転写の過程であちこちに違いができてしまうということはあったようです。
また、言葉の形というものがはっきりと書かれているために、現代との差というものも分かりやすくなっています。
例えば、狐は「くつね」と読まれています。このような母音の変化、母音交換形というものは他にも非常に多く、「イ」と「エ」は逆になっているようです。
また、同じ漢字の言葉の両側に「和語系」と「漢語系」の読み方が並列されているというの特徴的なものもあり、例えば「不審」という言葉に「イブカシ」と「フシン」の読み仮名が付けられています。
漢字を輸入して以来続けられてきた日本語の漢字による表記というものが完成を見た証と言えるのかもしれません。
16世紀の半ばから日本を訪れたキリスト教の宣教師は数多く、彼らが日本語の理解のために作られた「日葡辞書」(日本語とポルトガル語の辞書)というものが残っています。
これには、ポルトガル語に日本語を平仮名で示したものもありますが、日本語の部分をラテン文字で表したものもあります。
このラテン文字で表した辞書と言うものは、宣教師たちがどのように日本語を聞いたのかということが表れていて興味深いものです。
例えば、「faua」と表記されている言葉は、どう見ても「はは」つまり「母」に当たります。
西暦1000年頃に、「ハ行転呼音現象」というものが起こりました。
これは、「語中や語尾のハ行の音はワ行に変わる」というものでした。
ただし、当時のハ行音は現在の「ファ」であったことを考えると、それが唇の合わさりを緩くしてしまったということを表します。
それまで「カファ」(川)と発音されていた言葉が「カワ」となりました。これは現在でも続いています。
しかし、「ハハ」の場合は「ファファ」であったものが一度は「ファワ」になったようです。
それがこのキリシタン版辞書にも表れています。
ただし、読み方はファワであっても字では「ハハ」と書かれていたので、その後また発音も「ハハ」に戻ってしまったようです。
当時の仮名書では、濁音は表記していなかったために、実際にどちらで読んでいたのかと言うのは日本語文を読んでいるだけでは判別できません。
しかし、キリシタン辞書のラテン文字では濁るかどうかをはっきりと示しています。
「合力」はどうやら濁らずに「コウリョク」と読んでいました。「岩石」は「ガンゼキ」と読まれていました。
戦国時代にはそれまでと比べてはるかに多い書状類が発せられ、今でも保存されているものが残っています。
特に秀吉はその発した書状というものが重要性が高かったためか、今でも数万点が残っていますが、そのほとんどを占める公式文書は右筆が書いているものの、私的な文書は秀吉直筆とかんがえられるものが残っています。
その直筆の手紙の書き方を見ると、秀吉の文書能力と言うものが明らかになります。
伝記に見られるように、下層から成り上がってきた秀吉は幼少期からきちんとした教育を受けたわけではなく、用字の間違いと言うものが数多く見られるようです。
例えば、長音というものを書かない、撥音を書かないことがある、助詞「へ」「は」「を」と書くべきところを「ゑ」「わ」「お」と書く、「り」と書くべきところに「わ」と書いたり「た」と書くべきところに「さ」と書く、といった用字の誤記が頻発しているそうです。
なお、著者はこのような間違いというものは、秀吉が教育不足であったのも確かですが、それ以上に「長音、撥音、促音というものは日本語には本来なかった音であり、仮名と単純な対応関係をもっていないため」としています。
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当時の日本語を忠実に再現した戦国ドラマなんていうものを見てみたいものです。