著者は外務省に入省し各国大使館勤務を経て、国際交流基金に勤務したという、この本の内容に沿って仕事をしてきたような方です。
世界各地にそれぞれ異なる文化が存在しますが、現代ではそれらが否応なしにふれあい、こすれ合い、場合によってはつぶしあいをする状況です。
文化交流という美名だけではすまないようなこともあるかもしれません。
それを実行していくのはやはり戦略というものが重要ということでしょう。
文化の違いというものを端的に示しているのが、「名前のラテン文字表記の場合の、姓と名の順序」というところに出ているのかもしれません。
日本人が名前をラテン文字(ローマ字と書かないところがいかにも)で書く場合に、ほとんどの場合「名・姓」の順序に書いてしまいます。
人の名前を「名・姓」の順に書くというのは欧米の習慣であり、東アジアでは「姓・名」の順番で書きます。中国人や韓国人は欧米に行ってもその順序は変えません。
また、「姓」なんていうものは無い国もあります。
日本人の名を「名・姓」の順番で書くということは、現代であればそれほど抵抗はないのかもしれませんが、歴史的には困難な場合が数多く出てきます。
紀貫之は「ツラユキ・キノ」とするのでしょうか。しかしこの「ノ」には何の意味もありません。
大伴坂上郎女などはどうするのでしょう。
紫式部などは、どちらも姓でも名でもないのですが、これを「シキブ・ムラサキ」と表現している人がいたために、「シキブ」が名であるかのように理解してしまった人もいます。
このような矛盾点が多いために、著者が国際交流基金に居た時には日本人の姓名は「姓・名」の順で書くこととしたのですが、なかなか理解されなかったそうです。
世界の歴史のあちこちで異文化の衝突が起きましたが、近代のアジア・アフリカなどの国々のヨーロッパ各国による植民地化はその中でも非常に大きなものと言えます。
植民地からの財産の収奪ということが起きたのですが、それと同時に欧米からの価値観の押しつけというものも強く表れました。
特に、植民地側の支配階級にその価値観が多く取り入れられたために、現在でも植民地から脱した国がほとんどとはいえ、その支配階級には欧米の価値観に浸かりきった人々が残っています。
こういった植民地主義の後遺症というべきものは今でも大きく影響を及ぼしています。
さらに、それがインターネットの普及と経済のグローバル化の進展で拡大していく状況にあります。
このまま行けば世界画一化文化に行き着いてしまうかもしれません。
しかし、文化の一元化というものは世界全体から見れば衰退といえるものです。
異文化と異文化の対話と交流があることが必要なのです。
日本の文化交流といえば、次のようなものが実施されています。
政府・文化交流機関の実施するもの、留学生交流、日本語教育と日本研究の振興、学術交流、芸術交流、スポーツ交流、文化協力
しかし、中には「悪い交流」と言わざるをえないものもあります。「差別型交流」と呼んでいます。
「良い交流」、「誠実型交流」とは大差がありそうです。
これは、日本人の欧米コンプレックスが大きく作用しているようです。
欧米の、特に白人に対しては必要以上に歓待してしまうのに対し、アジアなどからの留学生には非常に冷淡という例が頻発しています。
日本人に必要なのは「文化多元主義」であるはずです。
西洋文化至上主義などというものから脱却しなければならないということです。