著者はウイルス研究に長年携わってきた方ですが、その最初の研究対象が天然痘ウイルスであり、その後もずっと病原体としてのウイルスに関わってきました。
一線を退かれた後は一般向けにウイルスについて啓蒙活動をしてきたのですが、その中で読者から「細菌に善玉があるように、ウイルスに善玉があるのか」という質問だったそうです。
これで目を開かれ、世界各国の研究報告を見直していくと、2000年に「ヒト内在性レトロウイルスが胎児を守っている」という報告に接し、さらに様々な動物と共生しているウイルスの存在というものに気付かされたそうです。
さらに、ヒトなどの生物のゲノム情報の解析が進むにつれ、ヒトゲノムの実に半分以上がウイルスに関係するもののようだということも分かってきました。
これまでの、「病原体としてのウイルス」だけを考えていてはウイルスの全体像とは大きく違うものを見ているようです。
ウイルスは動物や植物のそれぞれの種と結びついた特有の種があると考えられていますが、ウイルス自体の出現は30億年以上前と考えられています。
猿人の最古のものですら、わずか700万年前、現生人類は20万年前に出現したに過ぎず、現在のヒト固有のウイルスといってもほんの少し過去にヒトに取り付いたもののようです。
本書の最初の部分はウイルスの基本知識についてのものですので、そこは略し一番興味を覚えた「病原体以外のウイルスの働き」の項のみ紹介します。
ヒツジで研究された「胎児を守るウイルス」に関する研究ですが、母親の胎内で発育する胎児は半分は父親由来の遺伝形質ですので母親の免疫系にとっては異物です。
この免疫反応を無効にする機構があるはずとして、長年研究されてきたのですが、ヒツジのヤーグジークテ病と言う病気を引き起こすウイルスと非常に似た内在性のウイルスが健康なヒツジにも感染しています。
これは病原性はなく、病原性ヤーグジークテウイルスの侵入を阻止すると考えられていました。
そして、それに加えてヒツジが妊娠し受精卵が着床する時期にこのウイルスの作るタンパク質が胎盤形成に重要な役割を果たしていることが証明されたのです。
同様な例は他の動物でも見つかっており、ウイルスのプラスの働きがあることが分かってきました。
さらに、ウイルスによる遺伝子の伝播が進化にも重要な働きをしてきたということも間違いのないことのようです。
突然変異と自然選択で進化が起こり新しい種が生まれてくると説明されてきましたが、どうもそれだけでは進化が進まないように見えました。そこにウイルスによる遺伝子の水平移動を考えると進化の速度というものも考えやすいようです。
北米の大西洋沿岸に住むウミウシの一種のエリシア・クロロティカという種は光合成をしてエネルギーを得ています。葉緑体を持っているのですが、それにエネルギーを供給する機構は緑藻の遺伝子から来ているそうです。
これも内在性レトロウイルスが持ち込んだ可能性があるそうです。
ウイルスの種類、数量というものは、これまでの病原体だけを考えてきた常識からは想像できないほど大きいもののようです。
研究されてきたのはヒトや家畜、栽培植物の病原ウイルスのみと言ってもよいほどでした。しかし、これらの動植物に関係するウイルスだけでも非常に多くのものがあり、さらに昆虫や雑草など研究の対象となってこなかった動植物のウイルスも多数存在します。
さらに、生物に直接寄生・共生するウイルス以外にも海水や淡水の中に存在するウイルス粒子と言うものが多数見つかってきています。
ウイルスの世界というものは、これまで知られていたものより遥かに大きいようです。
もしかしたら、ここはウイルスの地球であり、動植物はその中に存在させてもらっているだけかも。