前回までの説明で、第一段階脱エネルギー社会(あくまでも「第1段階」です。理想社会にはまだまだ遥かに遠い)の交通体系が少し見えてきたかと思います。
大都市圏がどうなるかは触れません。それまでに大地震などで壊滅しなければよかったねという程度のものです。
地方都市それぞれが自立し、並立する状態が必要となります。
とはいえ、完全な自給自足などは不可能ですからある程度の地域間物流は確保しなければなりません。
ただし、現在のようなトラック輸送への大幅依存という状況は続けられません。私的なトラック輸送はごく高付加価値の物以外は不可能になるでしょう。
そういった程度に税体系を整備し、さらに道路整備も個々負担とすれば輸送料は莫大なものとなるはずです。
つまり、地域間物流は鉄道または船舶ということになります。
したがって、生鮮品輸送などは難しくなりますので、原則としてそういった食料は文字通りの「地産地消」となります。今のような欺瞞の地産地消ではなく。
まあ、生きた魚が高速道路を走り回るという現状の方が奇形であると思ってください。
ただし、拠点となる駅や港に着いたあとの貨物をどうやって地域内に分配するかという点は難しいものです。
ここにはある程度は自動車利用は残すべきでしょう。
それを、行政主体の物流部門とするか、特例として自動車保有を認める民間会社とするかは難しい問題です。非効率と不正の温床となるでしょう。
旅客輸送では、多くの社会体制の変更が必要となります。
個人の自家用車利用による通勤通学は不可能とします。そうなれば現状の勤務、通学といったことができなくなります。
それを補うような公共交通を整備しなければなりませんが、すべての住民の近所にまでそれが届くようにすることはできないでしょう。
これは、かつての狭い住居から郊外の広い一戸建てへと広がってしまったということが、自動車社会の成立そのものであったということを考えれば、元に戻すということも簡単にはできないことも分かります。
それでも、ここを乗り越えなければ脱エネルギー社会構築はまったく不可能であるというのも間違いないところです。
かなり困難な問題が山積ですが、それでもこれをクリアしなければ社会の行く末自体も危険であることを考えれば何とかしなければならないものでしょう。
これらを乗り越えて、目指すべき地方都市像はどのようなものか。
まず、都市間交通の拠点となる駅と貨物駅、そして内航貨物船の港が都市の中核となります。
そこを中心に路面電車路線を張り巡らせます。これが都市内の旅客輸送の中核となります。
とはいえ、それだけでは不足でしょうから初期の段階ではバスによる輸送も併用します。
これらの運営は自動車税を基として公的組織で実施します。
貨物輸送は貨物駅または港を中心にして域内のみを走行する小貨物自動車で実施します。
現在の企業や学校、病院、役所等の配置と住民の移動のすべてをこれらの交通体系で充足させることはできないでしょう。
しかし、社会の側が変わっていけばそれで十分とすることができるはずです。
世界企業からの製品供給を待つことも難しくなるでしょう。輸送コストがかかりすぎ、日本は商売相手にならなくなります。
そうなれば、地元で製造する中小企業にも復活のチャンスが巡ってきます。
さらに、食料品製造の農業などもこれまでより多くの必要性が生まれるでしょう。
そのような、かなり自立した地方都市というものを全国各地に作り上げていくというのが、脱エネルギー社会への移行の第一歩になるわけです。
ここまでの話では東京など首都圏や大都市には触れていません。
エネルギー集積のシンボルのような東京がどうなるか、それは脱エネルギーとは正反対の勢力の中心地でもあります。
地方へのシフトが進めば東京からの人口流出も多数になるはずですが、それでもまだ相当数が残るでしょう。
彼らに対しての物資供給もしなければなりません。その経済力も強いはずですので、どうしてもそちらに引かれるものが多いでしょう。
(続く)