著者は経済学の中でも労働経済学、公共経済学といった分野がご専門の方です。
あとがきに書かれていますが、およそ10年前に日本にも大きな格差ができているとして問題になった時期があったものの、その後世間の関心は薄れたようでした。
しかし、最近になってピケティの「21世紀の資本」やアトキンソンの「21世紀の不平等」が出版され、さらにディートンが2015年ノーベル経済学賞受賞といった格差についての話題が多く取り上げられるようになって、日本でも再び格差問題への関心が高くなってきました。
2015年にピケティが来日した時に、著者は講演のコメンテータを務め、直に対話もしたことで大いに刺激を受けたそうです。
そこで、ピケティならびにアトキンソン、ディートンの業績を紹介し、さらにピケティがあまり言及していない貧困層についての分析、成長か分配かの問題、健康格差・老老格差といったことを論じたのが本書であるということです。
ピケティの議論は、比較的単純な経済理論を現実の統計に当てはめて、富の格差が拡大している状況とその理由をうまく解析しているのが特徴です。
多くの資本主義国を200年以上にわたるスパンで分析しており、その現実妥当性は高いものと言えます。
ただし、著者から見たところ、ピケティがあくまでも高所得者の動向から格差拡大を見ようとしているのが気になるということです。
日本の現状などを見る場合には、やはり貧困層の問題を中心に据えるべきだという立場です。
アンガス・ディートンは2015年にノーベル経済学賞を受賞しましたが、その主要な受賞理由は発展途上国における格差・貧困問題でした。
また彼は健康格差の分析というものに着目して先進国と発展途上国の差を解明しました。
著者はディートンの議論に刺激を受け、日本の国内での高所得者と低所得者の間の健康格差の分析を行いました。
アトキンソンの「21世紀の不平等」は日本語版は2015年に出版されましたが、その他の言語でも十数カ国で翻訳が進行中ということで、今後注目を世界中で集める可能性があります。
労働者の賃金格差や、社会保障制度の充実策といった方向の議論をしており、政策提言も行っています。
著者がその15の政策提言のうち日本に特に必要としているのは「所得税の累進度を高める」「相続税と資産税を確実に徴収する」「最低賃金を引き上げる」「児童手当を充実させる」「年金や医療などの社会保障制度のさらなる充実を」といった点です。
本書はそのあとの部分で、「日本の格差の現実」「富裕層への高課税は可能か」「格差解消と経済成長はトレードオフか」「高齢者の貧困の実相」という問題を扱っています。
それぞれ、非常に興味深い論議がなされていますが、詳しい紹介は略します。
日本が格差社会かどうかという点は、否定する論者も居るなどまだ議論が続いていますが、実は貧困というものを定義するには2通りの方法があります。
それは「絶対的貧困」と「相対的貧困」というものであり、前者は人が最低限生きていくために必要な、食料・衣料・光熱費・住居・健康の支出の総額がいくらかという視点に立脚し、最低限の生活のためにどの程度の所得が必要かということを定めて貧困線と定義し、それ以下の所得しか無いものを絶対的貧困とするものです。
しかし、日本ではその厳密に定義された絶対的貧困というものは存在していません。
これは計測上の課題が多くある上に、価値判断・政治判断が必要なために手を付けられていないということです。
他の先進諸国では政府によって貧困線の定義と計測が提唱されています。
相対的貧困とは、国における所得分布に注目し、中央の順位にいる人の所得の一定割合以下の所得しか無い人を貧困者と定義するものです。
具体的にその割合はOECDでは50%、EUは60%という値を使っています。
格差の影響がどう出るか、いろいろな議論がされていますが、OECDがその分析結果を公表しており、格差の存在が経済成長率にどのような効果を及ぼすかが報告されています。
それによると、格差の存在が経済成長率を上げたと見られるのは、アイルランド・フランス・スペインの3カ国のみで、他の日本を含む16カ国では格差の存在が経済成長率を引き下げているということです。
つまり、格差を解消しようとすれば経済成長率も上げられる可能性があるということです。
一般には、高額所得者への課税を減らすことが経済成長につながるかのようなことが言われ、その政策が取られることが多いのですが、実は逆であるようです。
これは、格差拡大により所得の低い家庭では子供の教育もできず、その子が成長しても高い能力が期待できない影響が大きいと言えそうです。
格差という問題を非常に分かりやすく論じている本だと感じます。
ピケティの本も大きな話題になりましたが、日本の状態を説明するにはこちらの方が適しているのでしょう。