教育学者の齋藤さんですが、現代日本人の勤勉さの喪失、とりわけ若者の学問に対する情熱が失われていくことに対して非常な危機感を持っています。
学ぶ意欲を失いただひたすら受け身の快楽のみを求める若者を見ていると日本人が壊れていくと感じるそうです。
これは1960年代、70年代にもその兆候がありました。しかし、何と言っても80年代のバブル期に決定的にタガが外れてしまったと見ています。
本書はなんとかそれを取り戻したいと、中高生をも対象として書かれています。これを読んで若者が学ぶ意欲を取り戻せれば救われるかもということでしょうが、さてどうでしょう。
古代から受け継がれてきた教えが「仏法僧を敬う」というものであり、これは仏教に留まらず他の社会にも波及して目上の者、先生・師を敬うという態度であり、さらに教養あるものを敬う「レスペクト社会」と言えるものでした。
しかし、現代では「おもしろいもの」だけを求め「バカでもいいじゃないか」ということになっています。
自分がバカなだけではなく、テレビに大学教授などを引きずり出しわざわざ失敗させて笑いものにするという番組も横行しています。
著者は20年以上大学で学生を見てきました。
学生たちは最近ではどうやら「濃い交わり」というものを避けるようになっています。
以前は誰かの下宿に集まり一晩中飲み明かして語るというのが普通でした。
しかし、今では自分のライフスタイルから出ようとせずにそれを壊されない程度の浅い交わりしかしないようです。
また、同じ学生であっても新たな友人を作るということが苦手のようで、付き合うのは中高からの友人だけというのも珍しくありません。
また、大学生活の目的というものが、「良い会社に就職する」ことだけになってしまい、「知」と出会わないまま卒業していくようにもなってしまいました。
読書をする時間もほとんどなく、専門書どころか新書も読むことがない学生が多いようです。
そうやってなんとか就職してもその会社に勤め続けることができずにすぐに退職する者も多くなっています。
こういった状況は「心の不良債権」とでも言うべきものです。経済の不良債権よりはよほど問題が大きいのかもしれません。
このような「学び」の衰退は戦後のアメリカ化に原因があるというのが著者の見方です。
哲学を生み出したドイツやイギリスなどの文化を追いやったのは、アメリカの即物的な文化でした。
アメリカ文化といっても優れた面はあります。それは、フロンティアスピリットを尊敬し、個人主義を尊重するという点です。
しかし、こういった面を取り入れることはなく、アメリカ文化の摂取は極めて安易な面だけにとどまりました。
その結果が日本人の知の崩壊だということです。
著者は現在50代後半ですが、成長の過程でかつての旧制高校文化に憧れたそうです。
そこでは形だけかもしれませんが教養に対するあこがれがあり、それを追求していました。
そのような学ぶことを大切に思う気持ちを若者に取り戻してほしいというものです。
まあ、著者のご意見はご意見として、社会の方向性についての大きな問題が山積している中で、若者に教養を身につけさせるだけではどうしようもないように感じます。
まずそこから変えなければいくら本を読めと言っても無理でしょうね。