爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「裸体人類学 裸族からみた西欧文化」和田正平著

昔の「南洋」を描いた漫画や小説などには、腰ミノを着けただけの「土人」(昔はそう言ってたんです。お許しを)が出てくるというものでしたが、いつからかそういった描写はできなくなりました。

 

しかし、熱帯地方を中心としてかつてはほとんど衣服を身に付けない「裸族」と呼ばれる人が広く存在していたのは事実です。

 

考えてみると、原始人という言葉でイメージする古代の人々は毛皮などで身を包んでいたというように思いますが、それもさらに遡れば何も衣服を着けていなかっただろうということは当然のことでしょう。

 

本書では、文化人類学の研究者である著者が、豊富な熱帯地方での調査経験などを通して「裸族」の人々の風習、考え方というものを紹介し、さらにほとんど肌を見せようとしないのが伝統である西欧文化、イスラム文化というものをそれとの対比で語っています。

 

冒頭に語られているように、600万年以上前に他のサルとは離れて進化しだした人には最初は豊富な体毛に覆われていたはずです。

しかし、その後徐々に体毛が薄くなっていき、おそらくネアンデルタール人となる頃にはほとんど失われた「裸のサル」になっていました。

それでも発祥の地のアフリカ付近だけであれば裸でも暮らしていけたものが、世界各地に広がっていったために非常に低い気温の中でも生活しなければならなくなり、動物の毛皮などで体を覆うという生活に入り、衣服を発明していったのでしょう。

 

しかし、アフリカに残った人々や、その後南米や南アジアなどに移って行った人々にはその必要はありませんでした。そのために各地に衣服をまとう習慣を身に付けないままの人々が残ったということになります。

 

西欧人が活発に世界中に広がっていき、各地に入り込んでその記録を残すようになった時代には、熱帯各地にはほとんど衣服を着けない人々が住んでいることが知られるようになりました。

しかし、植民地化を進めるなどして西欧文化が広がるようになると現地の人々にも衣服を着ける風習が広がり、裸体というものを野蛮の象徴としてみるようになります。

そのため各地でも交通の便が悪く人々が近づけないところだけに昔ながらの裸体文化を守る人々が残るようになりました。

さらに奥地まで西欧人などが入り込むようになり、現代ではほとんどの地域で衣服を使うようになってしまったようですが、所々にはかつての名残を残しているようです。

 

 

アフリカ中部の熱帯地方には「パレオ・ニグリティック文化圏」と呼ばれる文化があったと言われます。

パレオとは「古」や「原」を意味しますので、古代ニグロ人種の文化ということですが、その後のキリスト教の宣教やイスラム教徒の侵入によってそれらの文化は大きく損なわれてしまいました。

それでもわずかに残されたものから研究されており、それらの特徴は次のようなものです。

裸体であるが、ふんどしや陰部覆いをすることがある。

割礼はしない。抜歯、瘢痕の慣習がある。

鍛冶師への畏怖が強い。

簡単な弓矢、鉄製の鍬を使う。

長老が土地を宗教的に支配する。

 

 

裸族の人々は我々のような通常は衣服を着ている者が「一糸まとわない」状態を裸というとすれば、彼らも「裸ではない」ということが言えます。

衣服は着ていなくても、彼らもまた様々な物で着飾っていると言うことができます。

 

それは民族により様々な違いがあり、頭飾り、耳飾り、鼻飾り、腰飾りのような身体のどこかに飾りを着けるものであったり、瘢痕文身、口唇拡大、抜歯、削歯のように身体に直接加える損傷を飾りとするものもあります。

また、損傷は加えずともボディペインティングのように色を塗る場合もあります。

このような風習は衣服をまとう文化の地域にも見られるものであり、衣服を着ける前の時代から延々と続いてきたものと見られます。

 

 

裸体そのものを飾り立てて見せるというのが裸族という人々の感性であるのなら、裸体を決して見せないというのも一つの感性と言えるでしょう。

コーカソイドと呼ばれる白人種はそちらの方向に特化してしまいました。

それから起こったキリスト教文化でも皮膚をできるだけ隠すという習慣を強化しました。

裸足になることすら嫌うことが普通のようですが、これは世界的には特異な方のようです。

ただし、そこから起こった西欧文化が世界を席巻したためにそちらの方が普遍的であるかのように見えているだけのようです。

 

なお、モンゴロイドでも中国ではなるべく裸体を隠すような発達を遂げてしまいました。

その点は中国文化の影響を強く受けているものの日本は大きく違うところです。

江戸時代までは労働者はふんどし一丁ということも普通であり、また祭礼の際に裸体になるということもあちこちで見られます。

ただし、中国では以前は公衆トイレにドアがないということもあり、そのあたりの感覚の違いというのは文化の進み方の違いで作られたのでしょう。

 

 

裸族というものの正確な知識を得ることは、文化というものを相対的にとらえるという大きな意味があるもののようです。

キリスト教的な文化が世界中に広がり、それに対してイスラム教文化が挑戦する(ただし、イスラム教文化もキリスト教文化と無縁ではない)というだけの文化観では見誤ることが多いのかもしれません。

 

裸体人類学―裸族からみた西欧文化 (中公新書)

裸体人類学―裸族からみた西欧文化 (中公新書)