著者(「根」の字は本当は土偏)は韓国の民間の歴史研究者で、この本も韓国国内向けにあまり知られていない歴史を解説するというものになっています。
本書「はじめに」に書かれているように、韓国人が自国の歴史を振り返る時にともすると固定観念にとらわれる過ぎることがあるということです。
それは、謹厳さ、悲壮感、窮屈さ、退屈さといったものなのですが、実はそればかりではないということを自国民に知ってほしいと書かれたそうです。
朝鮮半島の歴史について、基礎知識すらあやうい日本人がそれを飛び越えて読んでしまって良いのか分かりませんが、まあ和訳本が出ているのですから良いのでしょう。
韓国人が自国の歴史でイメージするものは多くは李朝以降のもののようです。
それ以前の高麗より昔というものはなかなか想像できないということもあるとか。
儒教道徳が深く浸透した李朝以降とは全く違った道徳観が1400年前の新羅王朝時代には存在していました。
新羅王室では王室の血筋を守るために近親婚をしていたそうです。
また男女の交際も自由なもので、恋愛ということもあったとか。
今日の韓国人からは想像しにくいもののようです。
その頃の結婚というものも、嫁取りではなく新婦の家に夫が入る形だったそうです。
日本の古代とも合わせて考えると面白いものです。
これは女性の地位の高さとも関係していました。
また初期の高句麗では兄が死んだ場合は弟が兄の妻と結婚するという風習もありました。
これは遊牧民社会では広く見られることですので、高句麗の出自と関係しそうです。
嫁取り婚というものは李氏朝鮮になって中国の影響が強くなってから広く広まったそうです。
しかし、国の施策としてそれを強制しても一般にまではなかなか浸透せず、庶民までその習俗が広まったのはようやく16世紀頃、壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)の時代近くになってのことだったそうです。
朝鮮は儒教道徳だと考えると、時代によっては大きな間違いになりそうです。
韓国では現在はハンコ(印鑑)が優先する風習になっていて、古来からそうであったかのように感じられているそうです。
しかし、これも古文書を見ると書押や手決と呼ばれるサインが広く用いられていることが分かります。
公文書には役所の印鑑といったものが押されることもあったのですが、ハンコが一般化したのは日本による韓国併合のあとになってからだそうです。
日本の江戸時代、長崎に行き来していたオランダ商人が船の難破で朝鮮に流れ着いたことがあったそうです。
しかし、当時はそのような事情であっても流れ着いた外国人は帰国を許さずすべて抑留することとされていたとか。
その一人のハメルという人は13年の後にようやく脱出し長崎を経てオランダに帰ることができたそうです。
彼はその後「ハメル漂流記」という本を書いたということです。
こういった話は韓国人もあまり詳しく知らないことのようです。