著者の森達也さんは、映画監督としてオウム真理教のサリン事件を扱ったドキュメンタリー映画「A」を製作、社会全体として麻原を叩けば良いというような風潮には疑問を感じているようです。
オウム真理教裁判で麻原を弁護した弁護士に対してまで猛烈な批判が集中する状況はおかしいとしています。
本書はその他にも社会が集団として動く不気味さについて様々な問題を取り上げて提起してきた文をまとめています。
章ごとに主題を決め様々な文章を配置していますので、その章表題を列記しておきます。
第1章 加害者と被害者
第2章 無知と無自覚
第3章 憎悪と報復
第4章 同調圧力
第5章 覚悟
そして、巻末には北朝鮮拉致被害者の蓮池薫氏の兄の蓮池透さんと著者の対談が掲載されています。
まあ章題だけでもなんとなく本書の方向性は分かるような気がします。
第1章にイスラエルとパレスチナの問題を扱った文章があります。
ユダヤ系アメリカ人とリビア人の青年と話をしたことがあったそうです。
最初はどちらも被害者としての面だけを話し、相手方を非難しています。
しかし、森さんがヨーロッパでのユダヤ迫害の被害者としての立場と、イスラエルでパレスチナ人に対して加えた加害とは相殺はされないと話すと二人共無言になったそうです。
そして、ヨーロッパ人は誰もこの問題について無関係ではなく、さらにユダヤ人が歴史的に暮らしてきた国々も加害の経験を持っています。
唯一、パレスチナ問題でキーパーソンとなれるのは日本だけではないかとしています。
ただし、日本人はあまりにもその問題の現状について無知です。それをよく知った上で、傍観者の位置から脱すべきだということです。
第3章にはイジメ事件の報道についての意見が述べられています。
2011年に起きた滋賀県大津市のいじめ自殺事件では、報道も過熱し、さらにネットではいじめたとされる少年とその家族などの実名や顔写真まで拡散するという事態になってしまいました。
そして家族や学校、教育委員会には嫌がらせの電話やメールが殺到し、その挙句には教育長が襲撃されるという事件まで発生しました。
このような報道過熱から生まれる事態をさらに報道することにより、何が生まれるか。
実は多くの現在いじめられている子供たちに、現在の生き地獄から一気に反撃する手段を気づかせることになってしまいました。
つまり、自分が自殺しその原因を遺書に残しておくことで、憎いいじめっ子たちにこれ以上ないほどの報復をすることができるということをです。
これがその後も続くイジメ自殺の大きな要因であったということです。
第4章の同調圧力とは、たとえば東日本大震災の直後の春の時期に多くの地域で見られた「花見自粛」のような動きのことです。
当時の東京都知事石原慎太郎は「花見は不謹慎だから自粛しろ」と発言しました。
被害者や遺族の気持ちをその立場にたって考えることは大切ですが、現在の日本はそれが暴走と言えるほどになりがちです。
そこに「同調圧力」というものがあります。
なお、この話をタイの映画上映会会場で話した際、日本語を流暢に話すタイ人が通訳をしてくれたのですが、「不謹慎」ということばはタイ語には訳せないと言って止まってしまったそうです。
考えてみれば英語にも「不謹慎」という言葉にピッタリ合う訳語はないようです。
この言葉はきわめて日本的な概念のようです。
他にも非常に重たい内容が連続しているような本でした。
読まれるならかなりの覚悟が必要かもしれません。