著者の赤堀さんは歴史研究者ではありません。それどころか、歴史学教育も通常の学生並のものだけという、元土木技術者ということです。
しかし、建設会社に長年勤務され、外国での工事もしていく中で外国人との交際も多く、近代の歴史が話題となることもあり、知識不足に悩まれたそうです。
ようやく定年退職となり、そのような知識を身につけようと本などを読んで勉強を始めたのですが、著者のような理工系技術者としてはまったく理解できないことがいくつも出てきたそうです。
そのような「なぜか」という点を数多く挙げています。
それは、同様に理科系であった私にとっても共感できるものが多かったと感じます。
一番大きな問題は「なぜ中国を敵に回したのか」です。
これを正面から論じたのは始めて見ました。
当時の情勢ではロシア(ソ連)が東方へ進出してくるのは間違いがなく、それへの対処というのは絶対に必要だったのですが、それに全力を入れなければならない時に中国相手の戦闘に入り込んでしまった。
それが一番の間違いだったということです。
かえって、ロシアに対するに中国を手を組むべきだったということです。そうすればアメリカなどの干渉を受けることもなく、アメリカの中国進出も抑えられたということです。
極めて、ごもっともというところです。
アメリカとの戦争開始も、数ある歴史研究者による歴史書によればアメリカからの圧力が強く避けられなかったという説が多いようですが、かの「ハル・ノート」もよく読んでみるとそこまで日本との開戦を唱えているわけでもなく、日本側の暴走というのが本当のようです。
真珠湾攻撃も著者は「最大の誤り」としています。
その成果はすばらしいとするのが、多くの歴史書ですが、アメリカとの開戦はするにしてもハワイに手をつけるべきではなく、フィリピンの基地攻撃程度にしておくべきだったということです。
ハワイに攻撃されたことでアメリカは本気で日本との戦争状態に取り組みました。
もしもアメリカも海外基地のみへの攻撃であれば国民の戦争支持も広がらずに有利に動けたかもしれません。
日米の国力、特に生産力の差は当時でも十分に認識されていました。
しかし、だからこそ物資流通の効率化でその差を埋める努力をすべきところ、輸送船の護衛や海上防衛などの重視といったことはほとんど為されずに、艦隊決戦だけを夢見た海軍の認識不足はひどいものでした。
第1次世界大戦でもドイツ軍の輸送船団攻撃は大きな成果を上げており、そういった戦略意識があれば自らの輸送船を守り、敵国輸送を攻撃するというのがもっとも効果的というのはわかったはずですが、その歴史認識がまったく生まれませんでした。
終戦前後のことについて。
ポツダム宣言を受諾し降伏し、そして戦争は終結したのですが、その前後には多くのことがありました。
アメリカなどは満州の関東軍が降伏に抵抗し、そしてソ連軍の侵攻にも対抗するという見方があったそうですが、実際は何の抵抗もせずに、そして多くの開拓団などの日本人を残して逃げ帰ってしまいました。
しかし、樺太や千島の守備隊は終戦後に侵攻してきたソ連軍に対して反撃しその侵攻を食い止めたという事実があるそうです。
そして、その日時を見るとはっきりとしたことが分かります。
8月10日に樺太上陸、防衛軍の反撃を受ける。
8月18日 占冠島に上陸、防衛軍の反撃を受ける。トルーマンがスターリンに北海道進軍を認めないと打電。
つまり、ポツダム宣言受諾以降は戦争時の進出とは言えず、敗者への一方的な略奪行為だということです。
他にも戦争以前からその後のことまで、広く疑問点を挙げておられます。
さらに、海外での業務経験豊富ということから英語文書も原文に当たっており、その点からも通説の誤りを的確に指摘されているようです。
久々に読んでスカッとするという感覚を覚えました。