爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「心配事の9割は起こらない 減らす、手放す、忘れる”禅の教え”」枡野俊明著

著者は曹洞宗の寺の住職でありながら、庭園デザイナーとしても活躍され大学でも教鞭を取られるという方です。

 

禅の教えというものは、座禅をしなければ本当のところは伝わらないのかもしれませんが、その助けとして多くの「禅問答」「禅語」といったものが残っています。

この本ではそういった「禅語」を引きながら日常生活とどのように関わっているのか、平易に解説しています。

 

持ち物を減らすということは「執着」というものから一つずつ抜け出すことにもなります。

執着を減らすということは心を曇らせるものを減らすということですから、良いことなのでしょうが、しかし一方では捨ててはいけないものもあると著者は説いています。

父母の「形見の品」は当然ですが、その他にも何かの記念に自分や家族のために買った品なども捨ててはいけないとしています。

その判定基準が難しそうです。それはその品に「思い」があるかどうかとしています。

禅語の「把手共行」に通じるものがあります。本来の自己(=仏様)と手を取り合って歩んでいくということですが、人ばかりでなく思い出の品というものもそれに準じるものだそうです。

 

情報の暴飲暴食は止めましょうということです。

インターネット社会で調べようとすればいろいろな情報を手に入れることができます。

しかし、あまりにも大量な情報にかえってそれに振り回されることも多いようです。

「心の置きどころ」というものをしっかりと定めそれにブレずに進むということも必要です。

臨済宗の開祖の臨済義玄禅師の言葉に「随処に主となれば、立処みな真なり」とあります。

どんなところでも今できることに一生懸命に励めば自分が主人公となれるということです。

 

「無心」ということがよく言われますが、これを「心をからっぽにする」と考えているといつまでも無心にたどり着けません。

禅修行者でも座禅をしていればいろいろな思いが浮かんできます。

浮かんできた思いはそのまま放っておくというのが大切です。

そうするとそれは自然に消えていきます。浮かぶに任せ消えるに任せる。それが無心に近い心の有り様だということです。

禅語に「雲無心にして岫を出ず」とあります。雲は何者にもとらわれず風のままに形を変えて動くが雲であることは変わらないということです。

 

非常に分かりやすい禅語の解説であると感じました。やはり著者が実社会でも活動していらっしゃるためでしょうか。