本の題名を見ただけのイメージでは、歴史を振り返り日本人の生命というものについての感覚がどのように変化してきたのかということを書かれたものかと思いましたが、少し異なるもののようでした。
著者の鈴木貞美さんは近代文学の研究者で、自らも著作、評論などを行なった後に大学で研究生活に戻った方のようです。
文学の中でどのように生命や人生というものが扱われていたのかという点が研究対象のようで、この本でも後半の明治期以降の記述では非常に詳細な分析が記述されています。
なお、本書は一応古代からの人生というものの捉え方も扱われていますが、これはこの本のために調べ直したといことです。
また、どうもあくまでも文芸作品や思想著作と言ったものに書かれた内容が中心となっているようで、当時の一般庶民の生命観、人生観といったものを述べているものではないようです。
日本人はこういった著述家と一般庶民の感覚差は少ないのかもしれませんが、完全に同一とも言い難いので、やはり「文芸作品に見る」ということを意識して見ていく必要があるかもしれません。
本書の最初は神話や風土記・記紀・万葉集と言った古代の記録から始められています。
神話に見る生命観というものは他の作品にも取り上げられているもので、さほど独自の観点というものは感じられないものでした。
平安時代から戦国までの期間も扱いは少ない方でしょう。平安の往生や成仏といったものから一足飛びに戦国武士の一所懸命まで飛んでしまいます。
江戸時代以降はどうやら著者の研究範囲に近づいてきているようで、記述も詳細になってきます。
さらに明治以降は非常に広範囲なところが詳細に触れられ、ちょっと消化しきれない気分です。
「生命」という言葉は、現代では「いのち」という意味で使われていますが、このように使われだしたのは12世紀からで、日本霊異記の内容を書き直した「今昔物語集」がその始めに近いようです。
もともとは「命」という言葉は「命令」の意味で使われており、「いのち」という意味が加わったのはかなり遅くなってからのことでした。
さらに、「生命」としてこの言葉が頻繁に使われるようになったのは明治に入ってからです。江戸時代にはさほど使われるものではなかったようです。
中村正直の西国立志編などには英語のlifeの訳語として使われています。
なお、日本人を「血統団体」であると主張したのは1897年の帝国大学法学部教授の穂積八束からのことだそうです。
血筋や家筋という考え方は昔からありましたが、日本国民全体が一つの血統というのはこの頃から激しくなった考え方のようです。
特に近代の文学は縦横無尽に走り回って説明されているような感覚で、すっかり車酔いしたような気分にさせられた本でした。