日本中世史研究の第一人者という著者が、戦国時代の合戦、特に城の攻防の戦いを紹介しているものですが、有名なものばかりでなく各地方のあまり知られていないものまで取り上げています。
戦国時代と言えば信長、秀吉、家康といった天下統一を中心として武田、上杉、毛利など各地方の有力大名の戦いなどが主に語られていますが、それ以外にも無数とも言える戦いがあり、それぞれに文字通り命をかけた戦闘が行われてきたわけです。
この本ではそういったあまり知られていない戦いまで描かれています。ただし、そのために一つ一つのエピソードに関しては4ページの記述でまとめられており、コンパクトなものになっています。
これは、本書の基になっているのが小学館発行の「週刊名城を行く」というシリーズの書籍に毎号連載されていた読み物に加筆したものということですので、簡潔に記述されたためのようです。
最初の記載はほとんど知られていないと思われる、琉球統一戦争での今帰仁城(なきじんぐすく)攻防戦というものです。
15世紀には沖縄は北山、中山、南山の三国に分かれて争っていましたが、中山王の尚思紹とその子の尚巴志が山北の今帰仁に籠もる樊安知を攻めたものです。
しかし要害の地に築かれた今帰仁城は落とすことができず調略により切り崩しました。
加賀国の守護富樫政親を攻め滅ぼし、本願寺門徒が治めるようになった時、かれらは現在の金沢城の一部と考えられる金沢御坊と言う城とも言えるものを作りました。
織田信長は石山本願寺と講和を結ぶと加賀一向一揆を解体するために加賀に柴田勝家を遣わし金沢御坊を攻めさせました。
正面からの柴田勝家の攻撃に気を取られた門徒衆は山を越えて攻めかかった佐久間盛政隊の攻撃に驚き陥落してしまいました。
武田信玄亡き後も勝頼がそれなりに維持してきた武田領国ですが、1982年には信濃の木曽義昌が織田に調略され、勝頼は木曽に出陣します。それに織田側も長男の信忠を出陣させました。
信忠軍は美濃岩村から信濃伊那郡に入り、2月14日には飯田城、16日には大島城を落とし、残るは高遠城だけとしてしまいます。
高遠に籠もるのは勝頼の弟の仁科盛信、現在の長野の県民愛唱歌「信濃の国」にも「仁科の五郎信盛」と歌われている人ですが、あくまでも抗戦を貫き城兵から女子供まで玉砕しています。
それにしても多くの戦いが行われ、多くの人々が死んでいったものです。