現在の地球は生命に溢れていますが、それが奇跡的な偶然なのか物質の性質として条件が揃えば必ず生命になるものかは確実なことはわかりません。
しかし、もしも奇跡であれば宇宙には他には生命が存在する可能性は非常に低いことになりますし、必然であれば(他の生命を探索することは不可能でも)どこかには生命が存在することが確信できます。
広島大学教授で生物学者、極限環境がお好きな長沼さんが、広島大学付属福山中高の生徒10名と4日間の討論を行ない、それをまとめて本にしたという体裁になっています。
しかし、いくら優秀な高校生とは言えこんなに難しい内容の議論を整然と行なったのか、ちょっと信じられないくらいに高度なものとなっていると思います。
有機化合物が生命となるには多くのハードルがあるのでしょうが、この本の中では最後には宇宙全体のエントロピー増大の原理に踏み込んでいます。
宇宙はエントロピーを増やす方向に全体として進んでいるのですが、生命が出現することでそれを遅らせるのか、あるいは加速するのか。まあよくわからない議論です。
そんなわけで、本書の主題についてはあまりにも高度なもので私も完全には咀嚼できていません。
仕方ないので、いくつも提示されているエピソードの中から興味深かったものを紹介するだけにしておきます。
地球の生物というものは、ほとんどは太陽からのエネルギーに依存して生活しているものと思っていました。
しかし、長沼さんが引かれた例を見るとどうやらとんでもない間違いのようです。
地底や海底、かなりの深度まで下がると地球内部の高温体からの熱が徐々に冷まされていくところがあり、それがちょうど生物の生存を許す温度帯に当たるところがあります。
そこにどうやら大量の微生物が住んでいるようです。
彼らは太陽エネルギーには依存していません。地球内部のマントルの熱量を使って生きているわけです。
しかも、その生物量は微生物に限って言えば陸上・海洋生物圏での総量3000億tに対して、地下生物圏ではその10倍以上の3兆から5兆tという見積もりがされているとか。
もちろん、地下では植物や動物には進化していませんのでその生物量は0ですが、それにしても太陽に依らない生物がそれほどまでに居るということは意外でした。
コンピュータが脳を越える日が必ずやってくると考えている人がいるそうです。
そして、それはごく近い将来の2045年であるとか。
アメリカの数学者にしてSF作家のヴァーナー・ヴィンジは1983年に「人間より優れた人工知能のことは人間には想像ができない」とし、それが起きる瞬間を「技術的特異点」と呼んだそうです。
そのような日が迫っているのでしょうか。
生物を構成する物質は刻々と代謝により入れ替わっており、過去の自分と現在の自分とは物質的にはまったく異なるものと言えるそうです。
しかし、自意識としては昔と変わらない(少々老けてはいますが)自分が居ると感じている。
これは自分というものの本質は「パターン」であるからということです。
生物以外の物質は物質が入れ替わることがないので、徐々に風化・劣化していきボロボロになっていく。しかし、生物は生命の続く限りは物質を入れ替えながら連続的に生きています。これが生命というものなのでしょう。
こういった話が満載です。高度に哲学的な内容でありよく分からない点も多々ありました。