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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「職業としての科学」佐藤文隆著

 

職業としての科学 (岩波新書)

職業としての科学 (岩波新書)

 

 

著者は理論物理学が専門の京都大学名誉教授の方です。

現在では「科学」を職業として選び生活をしている人がかなりの数に上ります。

これは日本ばかりではなく世界的な傾向であり、特にアメリカなどではさらに多数の職業としての科学者が存在しています。日本では研究者と言える人が約70万人、世界中では600万人ということです。

 

しかしほんの数百年前には科学者という人々はすでに存在していたものの、彼らは科学で収入を得ていたわけではなく他に生活基盤を持った上で言わば趣味として科学を行い、それで業績を挙げていました。

メンデルは牧師、ダーウィンは妻の実家が大富豪、ベーコンは法律家、デカルトは家庭教師、ライプニッツは外交官だったそうです。

 

しかし、科学の成果というものが国家や企業の力となる状況になってくると、それを行なう科学者というものに対して報酬が出ることになっていきます。

そうなると職業として科学を行なう人々が表れていきました。

これは、科学の担い手が生活のために稼ぐ必要のない上流階級の人々から、何かをして稼がなければ行きていけない中産階級に移ってきたということにもなります。

それがヨーロッパでは19世紀末の頃からのことでした。

 

さらに20世紀になると理工系ブームという状況になり、特にドイツなどでは大学がそれまでの人文系主体から理工系主体のものに変わっていきます。

大学でも研究者に賃金を支払うという、それまでとは変わった体制に移っていきます。

特に「国のために役立つ」科学というものになってくるとそれが重視されるようになります。

 

フェルミ問題」という言葉があります。

原子力学者だったエンリコ・フェルミは物理学の学生向けの講義も盛んに行なったのですが、その中で「シカゴにピアノの調律師は何人いるか」という問題を出しました。

これをシカゴの人口、ピアノの台数、調律の頻度、調律師の仕事といった数値から推定して人数を出していくというのですが、これでだいたいの数字がはじき出せます。

これは他の例にも広く応用が可能な考え方であり、実社会でも使いみちが多いものですが、ここでは「研究者という職業の数」の推定に用いました。

すると実数とほぼ同一の70万人という数値が出てきたということですが、1年間に養成しなければならない研究者数も2万人ということになります。

現在の日本では東大など20校の「研究大学」と呼ばれる機関が年間2万人の新博士を送り出しているそうです。

 

これだけの人を満たすだけの賃金が得られるかどうかという問題があります。

大学の経費というものはほとんどが教員と事務職員の人件費であり、研究者の人件費が出る構造にはなっていません。

彼らの人件費は実は「時限付き」研究費になっています。したがって、研究者の雇用も時限つきとなり、実に不安定という現状を表しています。

 

著者の最後の文章は、天才には制度は不要、常人が生活をしていくための持続可能な制度が必要というものです。

科学者の生活というと、どうしても天才的な最上部の人が考えられますが、彼らは放っておいても充分にやっていけるでしょう。しかし普通の人が科学を目指してなんとか生活できる制度が必要というものでした。