爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「なぜ新耐震住宅は倒れたか 変わる家づくりの常識」日経ホームビルダー編

著者は明らかになっていませんが、日経ホームビルダーという日経関連の住宅建設技術者のための出版社が書いていますので、かなりの専門性が感じられます。

 

本年4月に発生した、熊本地震では震度7の激震が2日の間に2回発生するという大変な揺れが起き、多くの住宅が倒壊しました。

住宅の耐震性について、1981年の新耐震基準というもので大きく変わりましたが、さらに阪神淡路大震災によって見直しされた「2000年基準」というもので、耐震性は強化されました。

しかし、熊本地震では、もっとも被害の激しかった益城町において旧耐震基準で32%の全壊・倒壊であったのに対し、新耐震基準(81年基準)のものが9.1%、さらに2000年基準のものでも2.9%が全倒壊してしまいました。

 

これが、2000年基準でも不十分と考えるのかどうか、さらに危険性が明らかとなった1981年から2000年までの住宅の耐震性能の強化が必要なのかどうか、という点について詳細に検討したものが本書です。

 

2000年基準というものは、阪神淡路大震災を教訓に、81年の新耐震基準において不十分と考えられた接合金物の補強と、壁量のバランスの重要性の強化という点を主に改定されたものということです。

しかし、熊本地震では前震・本震の連発というこれまでなかった地震の来襲を受け、2000年基準で作られた住宅にも被害が出ました。

これは住宅建設関係者に大きな衝撃を与え、多くの人々が被害の分析を行なっています。

 

 もっとも性能が良いはずであったにも関わらず倒壊した住宅は、性能表示制度の耐震等級2で設計した2010年完成のものであったそうです。これには多くの研究者や技術者が驚いたようです。

耐震等級2は2000年基準の1.12倍の強さに相当するので、これが倒壊するようでは基準自体が問題ということになります。

 

このような2000年基準適合であるはずの倒壊家屋の調査で、次のような問題点が見つかっています。

基準適合のはずが不適切な金物部品の選定が行われていた。そして耐力壁の施行において構造に誤りがあったというものです。

 

またその他の被害家屋も含めた調査では、地盤の問題を抱えた住宅での被害拡大も見られました。

益城町は傾斜地が多く、盛土をして作られた住宅が多いということです。こういった盛り土で地震の振幅が増幅されて被害を大きくしていたようです。

宅建築の際には地盤の強度をスウェーデン式サウンディング試験やスクリュードライブサウンディング試験といった方法で検査しますが、それらの試験では問題なしとなった経緯があったようです。

しかし、この土地は火山山麓地にあたり、これらの試験では危険性が見抜けないことがあるということです。

 

また新築ではなく増築した家屋での被害も多く、増築部分は耐震構造としたとしても旧建物部分との接合が弱いようです。

 

新築の建物であっても、施工業者の知識レベルが問題な場合もあり、地元の大工が建てた場合などは建主の要望に沿うあまりに南側に窓を多く作ってしまい結果的に壁のバランスが悪くなって耐震性能が低くなったものもあったということです。

 

今後の対応として、2000年基準をさらに強化する新基準を作るべきか、あるいは現基準をきちんと守れない施行者を淘汰すべきかで学識者などの意見も分かれているようです。

 

熊本地震では我が家でも震度5以上の揺れがあり余震も続いたために倒壊の危険性も頭をよぎりました。

建築基準法がさまざまな変遷をたどったということは知っていましたが、この辺の少しの強度の差で生命に関わるということが実感されました。

次はどこで地震が起きるかもわかりませんし、その時期も遠くないかもしれません。

すべての建物をコンクリート製トーチカにするというわけにもいかないでしょうが、倒壊で死傷者が多数出るという事態だけは避けたいものです。

 

南海地震などでは津波の被害が言われる事が多いようですが、津波から逃げる前に建物の倒壊で圧死してしまえばどうしようもありません。

地震という天災の来ることは仕方のないことですが、建物の耐震性強化ということで被害を減らせるものならば努力すべきでしょう。

 

なぜ新耐震住宅は倒れたか 変わる家づくりの常識

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