著者は言語学者で中国文化、漢字も専門としている方ですが、文化庁の文化審議会の委員として常用漢字表の改正にも参加されたそうです。
本書「はじめに」の部分に書かれているエピソードですが、平成20年の改正の審議の際に、嗅覚の「嗅」という字を常用漢字に追加するということを討議したそうです。
その際に、特に教育関係の委員からこの嗅という字の右下の「犬」という部分を「大」にしたいという意見が出されたそうです。
この文字の口偏のない「臭」という漢字は現在では「自」の下に「大」と書かれています。
口偏を付けた嗅という漢字もその意味は臭と関連しているために、その二文字をつなげて覚えるのは自然な成り行きでしょうが、そこで一方は「大」一方は「犬」では生徒が混乱するからというのがその意見の根拠でした。
ここに、戦後の漢字改革の矛盾が表れています。
もともと、「臭」という漢字の下部分も「犬」と書いたのが旧漢字でした。
しかし、戦後の当用漢字表制定の際に字体を少しでも簡略にしたいという動きがあり、そこで犬の点を取ってしまったのが混乱の元です。
このように以前の字体から点や線を微妙に加えられたり削られたりした漢字は多数に上ります。
者、黃、郎、歩、成、黒、免、等々ですが、そこには必ずしも点を削って簡略化するといった統一的な方向性があるわけではなく、行き当たりばったりのように見えます。
終戦直後から、占領軍が様々な点についての変更案、(命令)を次々と出しました。
教育改革の一環として国語表記についても調査、改革案提示を行なったのですが、昭和21年に来日して調査した第1次調査団は教育改革の方向のなかに「国語改革」も含めて報告しています。
そこでは漢字表記というものが日本語学習の上で大きな障害となっており、漢字を覚えることが教育上の負担となっているので、漢字を減らしゆくゆくはローマ字のような音標文字に転換すべしというものでした。
実はそれ以前から日本国内でも漢字のあまりにも多様・多数にわたることからその改善の討議は続けられてきていました。
そこではローマ字化、かな文字化といった主張もされる一方、漢字を簡略化、使用制限といった方向も示されていました。
進駐軍の命令もあったために、急ぎ「当用漢字表」というものをまとめるということになります。
しかし、2ヶ月で完成させろというとんでもないスケジュールで、ほとんどまともに審議もされることなく作られました。
その委員の中には仮名文字論者なども含まれていたために、どうせそのうちに漢字廃止になるからといった姿勢であまり漢字についての深い考慮もせずにできてしまったものもあるようです。
また、当用漢字表に含まれない文字を使った言葉は含まれた漢字で書き換えるといったことになったために、漢字の意味からするとまったく通らない熟語が多数できてしまいました。
臆説を「億」説と書き直したら何の意味もなくなるのは当然です。
「古稀」を「古希」と書き直したら、「古来まれな長寿」として祝うはずが「昔からののぞみだった」ことになってしまいます。
当用漢字表に入らなかった文字をそれでもどうしても使いたい言葉は漢字と仮名を交えた「交ぜ書き」をすることになります。
これも新聞などでよく見かけますが、「はく奪」や「ほう助」「軽べつ」など見ただけでは何やら分からないようなものになってしまいます。
家畜伝染病の「口てい疫」では恐ろしさも薄れます。
当用漢字表に入っている漢字もその字体はもともといくつも異字体が存在するものでした。
例として示されている「明」という字も現在のように「日」と「月」を並べた字体はかえって少ないほどで、左のツクリの部分が目や冏(本当はこの字の下部も線が入る)が多かったそうです。さらに康煕字典ではその方が正字とされていたとか。
このような簡略化字体というものが多数採用されてしまいました。
しかし、このように即製で作られた漢字表は実用に際しあちこちに不備が出てくるのは当然で、さまざまな手直しの動きが出ることになります。
子供の名前につけることができる文字も少なすぎて、人々の希望する文字が使えないという不満が多くでました。
そもそも、当用漢字表制定の際には「人名など固有名詞は対象としない」と決められていたのですが、その後の運用で法務省は当用漢字表の文字以外は届け出を認めないということにしてしまいました。
そのために「宏」「弘」「昌」「彦」など広く人名に使われている漢字が使えないという事態になってしまいました。
これが昭和26年の国会で早くも取り上げられ、人名用漢字として認めるものを別表として付け加えることになります。
しかし、その後の国語審議会の場でも漢字制限の動きは弱まりませんでした。
これは、その委員の選考を現行委員の互選、推薦によるものとしていたために、終戦直後の仮名文字化など表音文字化推進の立場の委員偏重の傾向がそのまま続いたためです。
これが社会的にも問題となりようやく昭和39年には委員選考も改善し、国語審議会として「国語の表記は漢字仮名交じり文をもって表記の正則とする」という原則を確立しました。
その後の大転換はワープロの発達によります。
これで書くには難しい漢字でも簡単に文章に使えるという動きが加速しました。
仮名文字化やローマ字化といった方向性はほぼ消え去りました。
今ではかえって「文章に漢字が多すぎる」という問題が出てくるようになっています。
よく言われるように、「ワープロを使いだしてから難しい漢字が書けなくなった」というのが一般の感覚でしょうが、実際は「そんな難しい漢字は昔から書いていなかった」というのが事実です。
しかし、ワープロにまつわる問題としては字体というものがあります。
ワープロ業界が決めたに過ぎない字体が確立した統一字体であるかのようなことになっていますが、これもきちんと決めるべきものでしょう。
私も教育は完全に戦後の場で行われましたので、当用漢字表しか分からない世代です。
旧字体はなんとか見当はつくものの書くことはできませんが、そちらの方が意味が通るという感覚はありました。
その理由がこのようないい加減な制定にあったとは。あの教育はなんだったのか。
未だに、漢字教育の現場ではどちらでも可ということになっている字体の強制(一方だけを正解とする)が横行しているようです。
戦後教育ももう70年続いていますので仕方のないことかもしれませんが、決まっていることはきちんと守って欲しいものです。