三国志演義を元にした物語で中国史の中でも特に知られている後漢から普に至るまでの三国時代ですが、よく知られているエピソードとはかなり違う所に歴史の真実はありそうです。
歴史学者で中国古代史、特に三国時代の研究が専門という著者が、極めて詳しい歴史資料を基に三国時代の政治と思想について語っています。
そのためか、あまり面白いものではないのは仕方ないことかもしれません。
三国志演義は後漢の皇族と言われながら零落していた劉備が関羽や張飛といった豪傑(言ってみればならず者)と悪戦苦闘をしていくという状況が描かれていますが、彼らと共に時代を作っていたのが「名士」と呼ばれる貴族階級の人たちです。
彼らは後漢の時代に土地所有者として貴族化を果たし、さらに文化の面でも先進的な位置を占めるようになった人々です。
諸葛孔明や司馬懿仲達といった登場人物も実は名士の出身なのですが、彼らが関羽張飛といった豪傑(成り上がりの人々)と争いながら作り上げていたのが三国時代であったということです。
曹操も名士と言われる出身ではありません。宦官の孫として財産はあったものの家柄は威張れるものではなかったのですが、それを補って余りある才能で頭角を表します。しかし、そればかりで進めるはずものなく、多くの名士と言われる人々を取り込むことで飛躍を遂げます。
その最初の頃には荀彧と彼の出身グループである潁川出身の名士たちを味方に取り込むことで発展していきます。
その後、荀彧は殺すことになってしまったのですが、それからも多くの地方の名士を政権に取り込んでいきます。
孫堅、孫策、孫権とつながる呉政権は揚州の名士たちを取り込むことで発展します。
周瑜をその代表とする揚州名士ですが、孫氏とは比べ物にならないほどの家柄を誇った彼らが孫氏政権に協力することで孫呉政権が成立します。
劉備は始めはそういった名士たちの協力が得られない中で苦戦しますが、諸葛亮という、荊州名士の一員を取り込むことで他の荊州名士の協力も得て強化を果たし、蜀への侵攻を成功させます。
蜀での漢再興でも、最初は荊州名士が政権主要を占めた状況が続いたのですが、徐々に地元の有力者が進出するようになります。
このような名士たちと政権中枢とは協力するばかりではなく争うことも多かったようです。
孫呉政権では孫権以降の皇帝は貴族の力を抑えようという動きを強めましたが、それが裏目に出て国自体が破滅してしまいます。
一方の曹魏政権では、皇帝側の曹氏が司馬懿を始めとした貴族層と闘争を重ねた事になります。
結果的には司馬懿の子孫が勝利して普国を立ち上げることになります。
これがそこからしばらくのあいだ続く貴族時代の幕開けなのですが、その発端が三国にあったということです。
三国志だけを見ると豪傑の対決といったところばかりがクローズアップされますが、歴史の真実としては貴族層の動きというものが大きな意味を持つというところなのでしょう。
まあちょっと三国志演義を楽しむ分には余計な知識に属するものかもしれませんが。