榊原さんの本は以前にも一冊読んでおり、その際も著述姿勢に対して疑問を感じておりました。
「幼稚化する日本社会 拝金主義と反知性主義」榊原英資著 - 爽風上々のブログ
この本も、日本の「翻訳文化」というものを批判し、速やかに英語による教育を実施してグローバル人材を養成すべしという主張を基調にしているのですが、そこに著者の有り余るほどの知識を散りばめて「日本文化は世界に例のないユニークなもの」といった主張を入れ込んでいるので、やや論点があちこちにずれているように思います。
著者は前にも書いたとおり、大蔵省入省の官僚でありながら若いうちから何度も留学・海外勤務を経ており経済政策の国際的な展開の専門家として要職を歴任され、その後大学教授に転じています。
エリート中のエリートといったところでしょうが、穴はあちこちにあるということでしょう。
本書はまず、日本では外国文化の受容をすべて「翻訳」でしてしまったとしています。
これは明治以降のヨーロッパ文化の場合だけでなく、古代からの中国文化の受け入れの際も同様でした。
しかし、簡単な英文和訳、和文英訳の例を見ても分かるように、翻訳するということはその微妙なニュアンスを写し取ることは難しく、かなり違ったものに置き換えるだけになります。
それは洋書の翻訳の際にも同じことで、原書の雰囲気まで完全に置き換えることはできず、まったく別物の訳書というものが出来上がってしまいます。
このような訳書を通じて外国というものに触れたようになっていたのがこれまでの日本でした。
このような状況で古代からほとんど外国というものに直接触れること無く作り上げてきた日本文化というものは、世界的に見ても非常にユニークなものであるということです。
日本にいる日本人はこのことにあまり気が付きませんが、世界から見れば明らかです。
著者も高校時代からの留学経験があり、その中で日本のユニークさというものに気がついたということです。
最初に著者がそれに気がついたのは、第1回めのアメリカ留学の1950年代後半、まだ「人種問題もベトナム戦争もなく、まさにアメリカが格差を意識しない繁栄を謳歌していた時代」だったそうです。
ここで「人種問題もまだない」という認識はすごいものです。著者の性格をよく表しています。
ユニークであることは良いのでしょうが、それでもこれからはグローバル化対応をしていかなければなりません。
そこで著者は日本の英語教育を取り上げています。今のような教育をいくら小学校から行なったところでほとんど成果はありません。
フィリピンやシンガポールなどは言うに及ばず、韓国や中国でも最近は英語で仕事ができる若い人材が続出しています。
これは、中国などでも英語による学校授業(英語の教育ではなく、他教科)が行われているからであり、日本でも大学教育は速やかにこういった形態に変えていくべきであるということです。
まあそうかもしれませんが、どうやっても実現不可能でしょう。大学の教授連中も海外学会などに出席すれば仕方なしに英語を使うでしょうが、それで学生に授業ができるという人はごく少数でしょうし、それでなければ教員ができないとなれば絶対数がほとんど揃いません。
そのような片言英語での授業をやったとしても、本当の深いところの議論など簡単にはできるはずもなく、(留学した人たちはこういうことをしていくのでしょうが、すべての人がそのレベルに上がる必要もないし、不可能でしょう)うわべだけの議論だけで済ませられるほど大学教育が幼稚なものになっているとも思えません。
(なお、実際に現在は英語で教育をするのを売り物にしている大学もありますが、そこでの学術レベルがどうかということはよく知りません)(知りたくもありません)
さらに、著者が本書の中で取り上げている「日本のユニークさ」というものも、もしかしたら「日本人の英語能力のグローバル化」とトレードオフの関係にあるのかもしれません。
そうなれば、牛の角、金の卵を生む鶏のたぐいの話となり、良い所を潰すだけかもしれません。
なお、ケチは付けましたが日本の英語教育についてはある程度共感できるところもあります。
今の中高の英語教育など、先生の言うとおりを覚えていくだけで、たくさん覚えられる人は成績が良いというだけになっています。もっと自分の考えを英語で発表するという能力を付けさせるような教育方法を取らなければ、いつまでたっても「受験英語」から脱却はできないでしょう。