爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

オリンピック メダル数を競うにしてもね

リオデジャネイロオリンピック(しかし、長いのはわかるけれどリオ五輪とはちょっと略しすぎでは)も現在まで日本の金メダル7個をはじめとして総数29個(17日)と好調ぶりをアピールしています。

 

しかし、単にメダル数が何個と言って競うというのに何か違和感を感じています。

 

アメリカの競泳選手フェルプスは今大会だけでも金5,銀1、これまでの通算で金メダル23個というバケモノですが、同じように4大会連覇を目指す女子レスリングの吉田・伊調がもし取れたとしても計4個です。

水泳があまりにもメダルが取りやすいようにも感じます。

 

柔道やレスリングなど各人取れたとしても1大会1個のみです。

バレー・バスケット・サッカーなどの団体球技は何人もかかってようやく1個だけです。

 

このように競技間のメダルの意味のアンバランスが大きいところで、一緒くたにまとめて「メダル何個」などと言っても仕方ないように思いますがいかがでしょう。

まるで、(身長+体重+胸囲)の合計350と言って競っているだけのようにも見えます。

 

もしメダルの数で多くするだけが目的なら個数を稼ぎやすい種目に有望選手を振り向ければ効果的です。

いくら多数の選手を投入して頑張っても個数を稼げない球技などには身体能力の高い選手を使っても無駄かもしれません。

 今の時期、甲子園ではチームは出場はしてもベンチにも入れない運動能力抜群の連中が何十人もスタンドで応援しています。彼らにアーチェリーやボートをさせればメダル獲得有望の選手も居るかもしれません。

 

まあ、メダル個数ばかりを言わなければ各種目を見て楽しめば良いだけのことなんですがね。諸外国(中国ロシアは除く)(今大会はロシアは除外)もこんな報道の仕方をしてるんでしょうか。

取れたか取れないかで、帰国時の選手の扱いが異なるとか、ちょっと品の無い話も聞きます。大人の対応とは言えないでしょうね。