著者の大谷さんは新聞記者を経てフリーのジャーナリストとして活躍されている方で、テレビでもお見かけしたことがあります。
監視カメラ(防犯カメラと言われることが多いが、本書では防犯の機能は限られていて政府権力の監視の意味が強いとしてこう呼ばれる)は最近は非常に多数設置されており、何か事件が起きると近隣のカメラ映像が警察に提出されて捜査の資料となっています。
しかし、どうやらカメラが設置されているから犯罪を犯してはいけないというような抑止効果はほとんどないようです。
ならば、何のためにつけているのか。
これを著者は警察などが国民監視のためであると考えています。
その監視の様子を問題にする前に、本書では「共謀罪」の国会審議の過程について触れています。
本書出版の2006年当時、国会で成立を目指していましたが野党の抵抗で廃案となりました。
アメリカなどでは成立しているとはいえ、犯罪がまだ行われていない段階でも捜査ができ、検挙可能ということで拡大解釈されて使われれば大変なことになるものでした。
政府側は対象とする犯罪は重大なものに限り、対象団体も犯罪集団であるとしていましたが、実際はそのようなことが法律に明記してあるものではなく、場合によっては町内会などでも取り締まり対象にできるようなものでした。
このように、暴力集団を対象とすると言いながら、非暴力集団も取り締まろうと言う政権側の策謀は強まるばかりです。
こういった国民監視の方法として、通信傍受はすでに成立していましたが、監視カメラ網というものも有効な手段として使えます。
すでに、交通監視システムのNシステムは稼働しており多くの実績を挙げていますが、このカメラがどこに何台あるのかという情報もすべて公表されていません。捜査の都合上と言いながら、それが妥当かどうかも表には出していません。
アメリカでははるかに監視活動が厳重であるとは言え、どのように実施しているかということは公表されているそうです。その点、日本の特に警察の捜査活動に対する公開の動きは極めてやりづらくさせられている状況です。
警察の捜査上の不手際、不祥事などは頻発しているものです。しかし、警察活動の情報公開が進まないためにそれもなかなか明るみに出ないことになっています。
国民の側の監視は強めながら、警察組織は公開を免れて隠し続ける。そういった体質が抜けないようです。