非常に重い内容を示唆する題名の本なのですが、その語り口はユーモアをふんだんに混ぜた軽いものです。
ただし、やはり内容はかなり重たいものです。
人種差別というと古代からありそうに思いますが、奴隷制度はあってもそれは戦争捕虜であったり経済破綻者であったりと人種を理由として奴隷としたわけではなさそうです。
かえって奴隷解放の風潮が世界的に広まりそれが実現してからの方が人種を理由とした差別が激化しました。
本書最初は、「エビちゃんは白人か?」という文から始まっています。もちろんこのエビちゃんとは出版時人気絶頂であった蛯原友里さんのことです。
もちろん、エビちゃんは生粋の日本人ですが、その容貌は西洋的なもの、白人的なものに近づこうとしているのかもしれません。それは無意識に行われているかも知れません。
それが「白人性」というものともいえます。
マライアキャリーを白人だと思っている人が多いという話も出ます。マライアはアングロケルト系の母とアフリカ系アメリカ人の混血です。
ワンドロップルールというものがあり、一滴でもアフリカ系の血を引く祖先が居ればそれは黒人だとする判定法ですが、それに従えばマライアは黒人です。
しかし、アメリカ人はともかく、普通の日本人が見たらマライアは白人としか見えないでしょう。
それでも現在でも実際にワンドロップルールが隠然とした力を振るっているアメリカではそこが重要なポイントとも言えます。
ここで著者は記述を江戸時代の河内国に戻します。著者の祖先が住んでいた土地ですが、そこには厳しい身分制が存在し、もちろん武士と百姓の間には壁がありましたが、それ以外にもその地方には浄土真宗門徒という別の身分があったようです。
さらに、穢多非人という人々もいます。そして明治以降は朝鮮半島から流入した朝鮮人労働者という人々も入ってきます。
このように、人種だけでなく身分でも差別というものが存在するところから、人間の本質には差別というものがあるという考え方も出てきます。
しかし、これに対しては著者は「NO」と言っています。というのは、差別は何時の時代にもあったとはいえ、その性質は時代により大きく違っていたからだそうです。
ここで、「身分差別」と「人種差別」とは違うのかという疑問がでますが、やはり人種差別は近代的な差別だということです。身分差別は古代から引き続き存在してきました。
人種差別は近代にグローバル化の進展により世界的規模で身分職業居住地の流動化が進んだためにできてきたものです。
コロンブス以降の新大陸進出により、旧大陸のヨーロッパとアフリカからアメリカへの大規模な人の移動が起きました。ヨーロッパからは移民として、アフリカからは奴隷としてですが、これがその後の人種差別の元になったのは間違いありません。
しかし、奴隷制が強固に存在していた間はかえって人種主義というものは顕在化しませんでした。
その後、19世紀にはアジアなどからアメリカへの移民という動きが強まります。ただし、これは年季契約労働者と言われるもので自由移民ではありませんでした。
これが奴隷制をも破壊する動きになるのですが、それとともに人種主義というものの強まる契機にもなったことになります。
アメリカでは奴隷制廃止の動きとともに、アジア系移民の排斥ということも始まります。黄禍論というものも生まれてきます。
このあたりから「白人」という意識も強まってきたようです。
そしてオーストラリアでは「白豪主義」が確立されました。オーストラリアも中国などからの労働者流入の動きが激化したためにそれに対しての反応でした。
実は、著者の藤川さんの最初の研究課題がここだったそうで、もっとも専門分野ということになります。
20世紀には人種主義的な立場を取る欧米列強に対し、日本が勢力を拡大してきます。そこでは「名誉白人」という立場も考えられてきます。人種主義というものは守りながら日本の立場を認めるという折衷案だったのでしょう。
現代に至り、人種による差別というものは一応してはいけないということにはなっています。
しかし、それは全ての人を「白人」として扱うということに留まる場合もあるようです。
プア・ホワイトという貧しい白人労働者が問題となっています。
しかし、「プア・ブラック」などという言葉は誰も使いません。ホワイトがプアであるということが問題であり、プアなことが当然なブラックとはあえて並べる必要はないというのでしょう。
財産収入があり、教養があり、しかも男。というのが「白人性」というもののようです。
これ以外の者がそこに入ることは拒否はしないがやはり例外だというのが現在の形を変えた人種主義なのかもしれません。
なお、このような「白人性(ホワイトネス)」というのは欧米では非常に頻繁に研究される課題となっており、多くの書物や論文が発表されているようです。
日本ではほとんど話題にもならないのは当然かもしれませんが、やはり知識として知っておく必要はあるものでしょう。
ただし、内容は玉石混交でそうとう怪しい物も多いとか。
日本人では「白人性」と同様に「日本人性」というものを考えるべきということです。それが分からなければ日本における差別の理解にはつながらないようです。
つまりそれは支配階級のデフォルトの属性ということなのでしょう。
やはり語り口の軽さではごまかしきれないほどの重い内容の本でした。