団塊世代というと終戦後のベビーブームで産まれた1946年から48年頃誕生の人々で、その3年間だけでおよそ800万人と言われています。
戦後の政治や文化の激動の様々な舞台では、その団塊世代の人たちが多く関わってきました。
それは良い方向ばかりではなくかなりの混乱も生んできました。
さらに、現在では(本書出版当時では”近い将来”)年金受給者となり年金財政の逼迫を生んでいます。
著者の林さんは1958年生まれ、葛岡さんは1959年生まれと、団塊世代の混乱のとばっちりを大きく受けてきた世代です。(ついでながら私もそうです)
その恨みもかなり込められて、団塊世代の若かった頃から年老いた今までその混乱の状況を書かれています。
新左翼勢力というものが生まれてきた当時は団塊世代はまだ関わっていなかったのですが、それらが最も激しく活動した学生運動真っ只中の1970年近辺は団塊世代がその中心であったことになります。
この辺のグループの説明は詳細でありほとんど未知のことばかりでした。
革マル・中核といった有名ドコロは名前だけは知っていたのですが。
しかし、一般の学生は「いちご白書よもう一度」の歌詞通りに髪を切って就職してしまい、残ったごく一部の活動家たちは内ゲバの殺し合いを激化させ自滅してしまいます。
この最後の凄惨な闘争のために新左翼運動は完全に大衆に見放され、学生の「政治の季節」というものも二度とやって来ないという結果になってしまいました。
マンガやファッション、音楽などの文化の変遷にも団塊世代が大きく関わっています。
少年漫画の草創期、少年マガジン、少年サンデーの創刊はまさに団塊世代が少年であったころでした。
また1964年の「みゆき族」の出現もちょうど団塊世代の社会への出現と重なります。
さらにビートルズに影響を受けた長髪、ジーンズというスタイルも流行していきます。
1980年代にバブル景気がやってきますが、その頃には団塊世代はおよそ40代半ば、会社でも中間管理職となった頃で、そろそろマイホームを欲しくなる年代でした。
彼らはバブル景気の主役とは言えませんが巨大なマーケティングターゲットであったということで、バブルの責任の一端を負っているとは言えそうです。
その彼らが一斉に退職し年金を貰うこととなりました。これが今後の日本の財政に大きな影響を与えるのは確かです。
ここで、団塊世代に対して著者が言っているのは「自分たちの年代が死に絶えるまでは年金制度を維持し、あとは勝手に考えてくれ」というような議論はしないでくれということです。
自分たちも重大な責任をもつ今後の日本社会をしっかりと考えて欲しいということでしょう。
日本の戦後社会というものに良かれ悪しかれ常に多大な影響を与え続けた団塊世代ですが、まだまだ引退してもらうというわけには行かないようです。