1941年は真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まる年ですが、ちょうどその年にそれまでの小学校が「国民学校」と名を変え、中身も変えて国民の教育というものの本質を戦争のために邁進するためのものにしてしまいました。
著者の入江さんはちょうどその年に国民学校に入学し、卒業したのは国民学校が廃止された1947年ということで、まさに国民学校だけに通ったという世代です。
国民学校で使われた教科書は、その国家検定というものが始まった明治19年から数えると第5期に当たるそうです。それは時代それぞれに変化していきますが、その第5期国定教科書は全面的に戦時体制のもとに少国民養成のためだけを求めて作られたものであり、その後敗戦したあとには墨塗されて使われるということになります。
その間、わずか数年間だけ発行され使われたものですが、これを正面から取り上げて内容を調べたということはあまりされていないようです。
著者はご自分が使わされたという経緯もあったためか、執念をもってその内容を糾弾されているようです。
国民学校制度が始まり、その性質はそれまでの「国民の育成」から「皇国民の錬成」となってしまいました。兵士として天皇のために戦う男子と、それを産み育てる女子と仕立てあげるだけの役割となりました。
実は、日本内地でそれらの制度を始める少し前から、朝鮮や台湾の植民地で小学校教育の国民学校化というものが開始され、そこでは朝鮮語中国語の教育は禁じられ創氏改名が行われ、皇民化教育が始まっていました。
国語の教科書は兵士として死を覚悟する内容であるとか、アジア各地を占領した日本軍に対して現地の人々の描写とか、とにかく軍国主義に沿ったものがほとんどを占めてしまいます。
また、日の丸、君が代というものを天皇制と結びつけて強制するというものであり、戦後にその国旗国歌を法制として制定した際の論議はまったくこのかつての状況を無視したものであるのが分かります。
第5期国定教科書のうち、ここで紹介されているのは国語、修身、歴史ですが、その他の音楽、習字といった教科の教科書にも随所に皇民化を意図した内容が見られるようです。
修身が神話を多く載せているということばかりでなく、国史(歴史)の教科書にも万世一系の天皇が統治するという記述が既定の事実のように書かれています。もはや歴史学の初歩というにも値しない内容ですが、これがその当時の雰囲気だったのでしょう。
このような教科書で教育を受けた世代が、本書まえがきにもあるように小渕恵三、森喜朗、そして西尾幹二といった人々を含み、彼らが戦後政治の逆行を進めています。
何か関係するものがあるのかもしれません。